言葉こそ力なり
2015年7月5日 CATEGORY - 日本人と英語
またまた前回に引き続き、鈴木孝夫氏の著書「あなたは英語で戦えますか」からの引用です。鈴木氏の著作はそれほどに「日本人と英語」を考えるうえで興味深い視点を提供してくれます。
それは、「使える英語」の本質は何かということです。
そして、著者は「言葉こそ力なり」といいます。
このことは著者は様々な著作の中で手を変え品を変え私たちに教えてくれています。もちろん、前回にご紹介したように、日本人が英語を道具として使用し、日本の文化を発信していくことも、世界における日本語自体のプレゼンスを高めることもこの「言葉こそ力なり」を意識されてのことだと思います。
しかし、著者はこのことをもう少し直接的な側面からも強調されています。
それは、日本における英語教育が相手との意見が対立したり、さらには喧嘩になったりした場合の、言葉による事態の処理方法を全く教えていないという事実です。
そのわけは、そもそも日本における英語を学ぶこと、英語で国際交流をすることの大前提が、外国人との友好的な関係を結ぶことを目的としているからだと言います。ですから、英語を使って不快感、怒り、反対意見などを表現したり、さらには反撃したりといった相手との対立対決の関係での言葉の使い方などは、取り上げる必要がないとされているのです。
その点に関する著者の以下の表現が非常に印象的でした。
「つまり、これまでの日本の学校で学ぶ英語は無色透明のきれいごととしての英語なので、実際のドロドロとした人間関係の場ではあまり役に立たないわけです。」
この著者の主張は、私自身の留学時代のことを思い出すとす~と腹に落ちるものでした。
思い出してみると留学中の自分の英語力の上達具合は決して平準化された上昇ではありませんでした。時々起る「出来事」のたびに、グンと大きな上昇をすることで、全体として結果を出したというような感じがするのです。
そして、その時々起る「出来事」というのがまさに、著者がいう「相手との対立対決の関係」だったのです。具体的には、ホームステイ先のホストファミリーとの意見の相違からの議論、自動車事故を起こした時の保険会社との折衝などです。
このことに気づかされる私以外にも留学経験者には少なくないと思います。そして、これがまさに英語で生活することの重要性だと思います。
もちろん、実際のドロドロとした人間関係というものは危険を伴うこともあります。そして、なによりなかなか意図して作り出すことも困難です。
ですが、必ずしも不快感、怒り、反対意見という相手との反発でなくても、良好な人間関係の中にも、「突発性」という要素は自然と作り出されます。例えば、ランゲッジ・ヴィレッジでの食事中に「やばいっ!ケッチャップが服についちゃった~。これ落ちるかな~?」ということを英語で言わなければならないこともそれにあたるはずです。
著者の主張を受けて、私たちが作り出している「環境」の重要性に気づかされました。そして、改めて良好な人間関係の中の「突発性」という要素をたくさん含んだ環境づくりをしていこうと思いました。