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破られたゴルバチョフの約束

2022年10月12日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

今夏(2022年8月30日)、米ソ冷戦を終わらせた立役者であるミハイル・ゴルバチョフが91歳で亡くなりました。

ゴルバチョフ氏は、西側では上記の通り冷戦を終わらせた優秀で先見性のある大政治家であったと評価されますが、ソ連の実質的な後継国であるロシアでは国民の46%が否定的な意見を持ち、30%が無関心、肯定的な意見はわずか15%であり、超大国ソ連を解体に導いた「裏切者」といった評価さえなされることがあります。

その証拠に、彼の葬儀は国葬とはならず、しかも国家元首であるプーチン大統領は公務を理由に欠席しました。

当時私は小学校の高学年でしたが、テレビでゴルバチョフ氏がソ連を近代化し、民主的な社会主義国家に再構築しようと奮闘する中で前面に押し出していた「ペレストロイカ(改革)」や「グラスノスチ(情報公開)」といったロシア語の単語がいまでも強烈に記憶に残っています。

彼の死を受けて2022年10月1日に放送されたNHKのドキュメンタリー「ゴルバチョフの警告」という番組を見ました。

その中で最も衝撃的だったのは、冷戦終結時に彼がアメリカと交わした「約束」の存在です。

私は、ゴルバチョフ氏が冷戦終結によって世界から大きな対立を消滅させるという人類にとっての偉業を成し遂げたということは何よりも称賛されるべきことであることを理解しつつも、そのことを実現するための「負担」が西側(アメリカ)にあまりに少なく、東側(ソ連)に極端に大きいという、バランスが悪いものだったと感じてきました。

そして、そのようなバランスの悪い形での決着を受け入れるというゴルバチョフ氏の決断を、まがいなりにも当時超大国であったソ連の体制がなぜ許したのか、とても不思議だったのです。

この番組では、私が長らく持っていたこの疑問に対する解答となる以下のような事実を明らかにしていました。

当時のアメリカとソ連の交渉において最後の最後まで難航したのが、東ドイツをソ連から切り離して西ドイツと統一させたのちの新生統一ドイツがNATOへの加盟をソ連が認めるかどうかでした。

それはそうですよね。

みすみす自らの支配下にある東ドイツを手放すだけでも大きな「負担」なのに、その後、その東ドイツを統合した新生ドイツが今までずっとソ連に対して敵対してきた同盟に加わるようなことなどどう考えても認められるものではありません。

でも、ゴルバチョフ氏はそれを以下の条件と引き換えに認めたのです。

それは、「NATO軍の管轄は1インチも東に拡大しない」というものです。

これは、公式に書面で明らかにしたものではないと西側は否定し続けてきたものですが、この番組では1990年2月9日に米国のベーカー国務長官がゴルバチョフ書記長に対して発言し、西ドイツのコール首相も訪ソして同趣旨の発言をしていたことを取材によってあぶり出していました。

あれから30年以上が経ち、その約束は全くなかったようなNATOの拡大っぷりは皆さんご承知の通りですし、それが今回のロシアによるウクライナ侵攻の最大の原因になっています。

中東戦争の引き金になったイギリスの二枚舌外交は有名ですが、この件についてのアメリカの姿勢も十分に二枚舌外交と言ってよいと思います。

悔やまれるのは、ゴルバチョフ氏もなぜそのアメリカの約束を公式なものにすることを要求しなかったのかということ。

このことをもって、西側はそんな約束はなかったと主張するわけですが、でも逆にこの約束がなかったのなら、ゴルバチョフ氏はそこまでの譲歩をどのように祖国に説明したのでしょう。

逆にその「約束」がなかったとすれば、これほどまでの大きな譲歩の説明がつきません。

死の間際でウクライナ戦争という最悪の事態を見せつけられながらこの世を去らなければならなかったゴルバチョフ氏は、アメリカとロシアの両方に対してどのような気持ちだったのか。

私はそのことにものすごく興味があります。

 

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