日本人と英語

言語の違いは人種の違いと同じくらい小さい

2019年6月9日 CATEGORY - 日本人と英語

前回まで、5回にわたって書籍紹介ブログにてご紹介した「言語を生み出す本能」からテーマをいただいて書いてきましたが、今回が最終回です。

テーマは「言語の違いの認識」についてです。

本書の趣旨は、人間には「普遍文法」が生得的な能力として備わっているため、あらゆる言語をあらかじめ母語として習得できるという可能性があるという事実を一般の人にも理解させることです。

その考えにのっとると、一見全く異なるように見えるそれぞれの言語も、この「普遍文法」の前ではほんの小さな「差」しかないということが言えてしまいそうです。

その一見大きく見える「差」が実はほんの小さな差に過ぎないということの例として著者は「人種」の違いを次のように取り上げています。

「人種や民族の違いは最も瑣末な差異である。一般の人にとって、人種の違いは嘆かわしいほど明瞭だが、生物学者にとっては、違いは事実上存在しない。人間の遺伝子異体の85%は、同一の民族集団、同一の部族、同一の国に属するある人と、別のもう一人の差異として現れる。残りのうち8%が、民族集団間の差異として現れ、人種間の差異として現れるのはわずか7%に過ぎない。例えば、任意に選んだスウェーデン人二人の遺伝的差異は、平均的スウェーデン人と平均的アパッチの遺伝的差異の12倍も大きいことになる。つまり、分子遺伝学者のX線のような視力で見れば、ヒトという種は一つなのだ。認知科学者のX線のような視力で見ても同様である。『同じ言葉を話さない』というのは、意思疎通ができないという意味で使われる表現だが、心理言語学者から見れば、それは表面的な違いに過ぎない。個人を超え、文化を超えて普遍的、かつ複雑な言語が存在し、単一の心的メカニズムがそれを支えていると確信している私にとっては、どんな発話も、たとえ一語も理解できなくてさえ異質なものとは思えない。」

この中で取り上げられている人種間の差異の小ささについては、以前にこのブログの「人種は生物学的概念ではない」という記事で取り上げました。

上記の「人間の遺伝子異体の85%は、同一の民族集団、同一の部族、同一の国に属するある人と、別のもう一人の差異として現れる。残りのうち8%が、民族集団間の差異として現れ、人種間の差異として現れるのはわずか7%に過ぎない。」という部分について少し分かりにくかったので、以前の記事から人種の差異の小ささについての記述を引用したいと思います。

「人種と言うと、生物学的な人間の違いが想起されます。しかし、近年のヒトゲノム研究によると、ヒトは遺伝学的には99.9%同質であり、人種の違いは認められないという結論が導き出されています。」

7%の違いと0.1%の違いという量的差はありますが、いずれにしても人種の差は遺伝子的に見ればほぼ無視できるほどの違いでしかないということは分かります。

本書の最後で、著者は誰の目にも明らかに見えるこの人種の違いが、実は遺伝子的には非常に小さなものであるという例と、言語の違いを対比させることで、人間には生まれつきどんな言語も習得できる「言語の本能」を備えているという著者が最も伝えたいことの信ぴょう性を高めているように思います。

そして、私としては少なくとも「母語」の習得という意味に限定はする必要がありますが、それは非常に確からしいという認識を持つにいたりました。