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世界の日本人ジョーク集

2023年2月8日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

今回はちょっと俗っぽい興味と怖いもの見たさの入り混じった不思議な感覚にとらわれて思わず手に取った少し古い本を紹介したいと思います。

そのタイトルは、「世界の日本人ジョーク集」。

かなり前にはなりますが、書籍紹介ブログにおいて「二ホン英語は世界で通じる」を紹介した際、

「考えてみれば、『インドなまりの英語』『フランスなまりの英語』などという言葉からは、なんとなくその英語のイメージが湧きますが、『二ホンなまりの英語』」というものには不思議と統一的で具体的なイメージが浮いてこないことに気が付きます。逆に言うと、このイメージがないこと自体が日本人が英語にいつまでも特別な劣等感を持ち続ける理由なのではないでしょうか。」

と書きました。

つまり、「○○なまり英語」という称号をつけられるということは、その「○○なまり英語」が英語圏における相当程度の「存在感」を示していることのポジティブな証拠になるのではないかと。

このことと「世界の日本人ジョーク」との間に何の関係があるのかと思われるのも無理はありませんが、もう少しだけお付き合いください。

実は本書の前書きには次のようなことが書かれていました。

「世界のジョークに出現するのはアメリカ人やイギリス人、ロシア人やユダヤ人らを笑うものと比べれば少ないものの、多種多様な日本人が描かれ、笑いの対象になっているジョークもしっかり存在する。そんなジョークには、彼らの日本人観が色濃く反映されている。いわば、日本人ジョークは日本に対するイメージの発露であり、日本人独特の普遍性を含む結晶のようなものだ。」

この一節を読んだら、どうしてもこのこととの絡みから、「俗っぽい興味と怖いもの見たさ」にとどまらない、日本人の世界における存在感が一体どの程度のものなのかを知りたいという純粋な知識欲がこみあげてきてしまったのです。

前置きが非常に長くなってしまいましたが本題に入ります。

本書の出版は2006年、日本の産業、特にハイテク産業がまだ世界のトップを維持できていたころなので「最先端工業国」および「お金持ちの国」のイメージからのジョークが多く、今それらのジョークを聞くと恥ずかしくなってしまうほど隔世の感を禁じ得ません。

この20年という時間の重さに愕然とさせられてしまいますが、それ以外の部分では今でも十分考えさせられるものがたくさんありました。

例えばこちら。

「国際会議において有能な議長とはどういう者か。それは、インド人を黙らせ、日本人を喋らせる者である。」

日本人が長時間英語を勉強しているのにいつまでたっても話せるようにはならないという英語に対する苦手意識の源が、「知識の少なさ」のみならず、その「消極的姿勢」にこそあることを指し示すものでしょう。

ついでにもう一つ。

「レストランでスープに虫が入っていたら。ドイツ人は『スープは煮沸されているので十分に殺菌されている』と言って虫をスプーンで取り出して飲む。中国人は何もなかったように虫を食べる。イギリス人はスプーンを置き、皮肉を言って店を出る。ロシア人は酔っぱらっていて虫が入っていることに気づかない。アメリカ人はボーイを呼び、コックを呼び、支配人を呼び、裁判沙汰となる。そして日本人は、周りを見回し、自分だけに虫が入っているのを確認してから、そっとボーイを呼びつける。」

著者は、欧米人の一神教的な神の前での善悪という絶対的基準に基づく「罪の文化」と日本人の「自分の行動に対する世間の目」という相対的基準に基づく「恥の文化」との違いを示したアメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトの「菊と刀」、および日本語の「恥(はづ)」の「は」は「端」のように本来あるべきところから「外」れたことを指すという向坂寛氏の「恥の構造」での考察を引き合いに出して指摘されていました。

これについては、本書が出版されてから15年近くを経て発生したコロナウィルスのパンデミックにおけるマスク着用の是非に関する彼我の意識差を見れば、あまりに見事なジョークだと言わざるを得ません。

「○○なまり英語」に見られるような「存在感」を再確認できるようになるのではという期待をもって本書を最後まで読み進めはしましたが、残念ながら、最後までそのようなポジティブな証拠となるジョークを見つけることはできませんでした。(笑)