日本人と英語

コミュニカティブアプローチの落とし穴

2015年9月23日 CATEGORY - 日本人と英語

コミュニケーション

 

 

 

 

 

 

先日書籍紹介ブログでご紹介した「日本人に相応しい英語教育」から日本人が陥りやすい英語教育の落とし穴について分かりやすく説明されている部分がありましたのでご紹介したいと思います。

それは、昨今の英語教育のトレンドである「コミュニカティブアプローチ」の落とし穴です。

本書で著者は、日本の従来の英語教育はベストではないが既定の条件下では「これしかない」ものだという論で一貫しています。そのことについて一言で表現している部分をまず引用します。

「私が米国アラバマ大学で日本語を教えていた1989年には何人かの駐在社員から『赴任時は聞き取れなかったが3か月ほどたったころから、よく解り商談もできるようになった』と伺った。皆さん一流大学の出身者だった。受験勉強で鍛えた文法・語彙・読解力が運用環境で結実したのだ。」

このように、著者は日本における文法訳読中心の英語学習方法は「日本人に相応しい英語教育」であって、逆に「コミュニカティブアプローチ」は日本人にとっては適さない学習法であると主張します。

ヨーロッパにおいても、外国語教育方法は1960年代までは日本と同様、文法訳読式でした。これを「コミュニカティブアプローチ」すなわち、学習対象言語を使って実際にコミュニケーションを行う過程を通じてその言語を習得する方法に転換したのが1970年代です。

そして、「コミュニカティブアプローチ」は、ヨーロッパにおいて大成功をおさめます。このように実際に彼の地において大きな実績を上げていることから、日本においてもこれにならい、この方法が評価されるようになりました。このことから、相対的に日本の英語教育において、文法・語彙・読解力が軽視されるようになります。

しかし、ビジネスの世界でも、欧米で成功した商品やサービスをそのまま日本に持ち込んでもほとんどの場合失敗するというジンクスは、ここでも当てはまります。

ヨーロッパにおいて「学習対象言語を使って実際にコミュニケーションを行う過程を通じてその言語を習得する方法」が成功するという事象の背景には、多くの欧州諸国の言語が同族的な関係にあり、「相互にきわめて似ている」ことが厳然としてあります。

つまり、ヨーロッパでは母語の文法や語彙が学習対象言語においても応用可能なので、それほど時間をかけて教える必要がなく、最初から言語基盤がかなりできているのです。だからこそ、学習活動の中心に、文法や語彙の教授を据えることよりも、実践的な言語行動自体を据えたほうが効果が高いという結論になります。

それに対して日本語は、英語に対して文法にも語彙にも、いかなる分野においても共通点はありません。まさしくゼロからのスタートです。ゼロからのスタートであれば、当然、英語を使う仕組みである「文法」、そして、英語を形作る部品である「語彙」を無理にでもインプットするという作業がどうしても必要となることは言うまでもありません。

このように説明すれば、日本において文法・語彙・読解力中心の学習によって成果が出ないことから、これを、スキップして、欧米において成功している「コミュニカティブアプローチ」を取り入れるべきだという考え方が不合理すぎると簡単に理解できると思います。

いままでは、日本の英語教育を受けただけでは、英語を使えるようにはなりませんでした。しかし、その後、米国赴任のような機会が与えられた人は、『3か月ほどたったころから、よく解り商談もできるようになった』というメリットを享受することができました。

しかし、日本の英語教育が従来の方法を捨て、完全に「コミュニカティブアプローチ」に舵を切ってしまえば、簡単な挨拶程度の英語についてのみ発声することができるくらいでとどまり、その後、米国赴任のような機会が与えられたとしても、いつまでたっても商談ができるような英語力には届かないという現実を覚悟しなければならないと思います。

非常に単純な理屈ですが、日本の英語教育は、どうしてこのような単純な検証もせずに見切り発車してしまうのか本当に理解に苦しむことが多すぎるような気がします。