日本人と英語

「英語ができる」を定義する

2017年10月13日 CATEGORY - 日本人と英語

先日ご紹介した書籍「中年英語組」から、いくつかのトピックをピックアップしてみたいと思いますが、初回の今回は、自分がどこまで英語ができれば、「英語ができる」と言ってもよいか、すなわち「英語ができる」状態の定義について考えてみます。

皆さんは、「英語ができる」と他人に対して言うことができるレベルはどのあたりだと思われますか?

また、街を歩いていて、外国人に「Do you speak English?」と聞かれたら、どれくらいの日本人が「Yes, I do.」とはっきり答えることができるでしょうか?

海外留学で様々な国の人と机を並べて勉強した経験がある方にとっては共通認識かと思いますが、この定義に当てはめる基準が最も厳しいのが、日本人ではないかと思います。

そして、日本人以外、特にスペインやイタリアおよび南米、すなわちラテン系の国の人々のこの定義はとにかく緩いと。

彼らは、現時点において自分が持っているありとあらゆる英語に関する知識を総動員して、とにかく話します。イメージとしては知識がある人もそうでない人も、口から発せられる音声の量は変わらないというような感じです。

そして、その上達スピードも、私たち日本人から見ると羨ましいくらいに早い。

おそらく、彼らの多くが、集中語学研修を受ければ、まったく英語知識ゼロの段階からでも一週間もしないうちに「Do you speak English?」に「Yes, I do.」と答えられるようになると思います。

それに対して、日本人の多くは中学から高校の6年、大学まで入れれば10年も勉強していても、「No, I don’t.」や「Only a little.」と言ってしまう。

この違いを私たちは真剣に考えなければなりません。

本書では、マクドナルドでハンバーガーすら買うことができないレベルの英会話力で、米国の名門プリンストン大学にて日本経済を講義することになってしまった著者が、恥をかきながらも事態を乗り切っていくさまが生々しく書かれています。

本書を読み終わった後、著者には申し訳ございませんが、英語からずっと遠ざかっていた中年のおじさんが、勇気を出して一歩前に出ることで、英語を使って「教える」ことまでやり切ってしまったんだから、普通に英語を使って「生活する」ことなど、恐れるに足らないと思えてしまいます。

ただし、そのためには条件があります。

著者もそうですが、「英語ができない」とはいっても、必要最低限の「文法」と「語彙」は頭の中にあるというのが条件です。

先ほどの、ラテン系の国の人々が全くのゼロからでも、一週間あればペラペラ話してしまうというのは、彼らがスペイン語やポルトガル語のような英語と似たような言語の仕組みを有する言葉であるというアドバンテージがあることは知っておくべきです。

日本語という英語とは全く異なる仕組みを持つ言語を母語に持つ私たち日本人は、少なくともその前提をあらかじめ有しておかなければなりません。

その上で必要なのは、「Do you speak English?」に「Yes, I do.」と答えてしまうことによって、英語を使わずにはいられない環境に自分を追いやることです。

ですから、「英語ができる」状態の定義とは、決して知識の量やその使用の習熟度合という定量的に規定されるものではなく、最低限の知識は前提としても、自分をその環境に追い込む覚悟をしたかどうかという定性的に規定されるものだと思います。

つまり、勇気の有無ということになります。

 

 

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