「好き嫌い」と才能
2016年7月10日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
またまた楠木教授の新刊が出ましたので早速買ってしまいました。
「好き嫌いと才能」という本です。もう、反射的に買ってしまいます。もはや中毒かも知れません。(笑)
実際に読んでみても、毎回高まる期待を裏切らない、「物事の本質を言語化する」という凄みをバシバシ醸し出している優れた本でした。
例えば次の文章。
「才能は特定分野のスキルを超えたところにある。逆に言えば、あれができる、これができると言われているうちはまだ本物ではない。『データ分析に優れている』であれば、その種のスキルを持っている人を連れてくれば事足りる。つまり余人をもって代えられる。『ああ、この人はすごい』『この人なら何とかしてくれる』と思わせるところに才能の正体がある。それは特定の要素に分解したり還元できない総体である。」
なるほど、と思わざるを得ない文章だと思いました。しかし、これだと、才能は「余人」でない人だけが持ち得る『天賦の才』だと捉えられそうです。
ですが、次のような絶妙な説明もされています。
「ごく一部の天才を別にすれば、『天賦の才』というわけでもない。あっさり言ってしまえば、『普通の人』にとって、才能は努力の賜物である。余人をもって代えがたい程そのことに優れているのは、それに向かって絶え間なく努力を投入し、試行錯誤を重ねてきたからに他ならない。」
つまり、才能は努力を絶え間なく続けることで作られるわけです。ですが、その努力を続けることが、「普通の人」にとって大きな課題なのです。
では、なぜ努力は続かないのか。そのことについても、非常に分かりやすく解説されています。
「その理由は、努力がしばしばインセンティブと表裏一体の関係にあるからだ。それはしばしば、外在的に設定された報酬という形をとる。報酬は、お金や昇進だけでなく、人から褒められるなどの承認されることも含まれる。しかし、このインセンティブにはいずれ終りが来る。資源が限られている以上、お金やポストを与え続けることはできないし、褒め続けることはできるが、慣れによって、その効果は時間とともに低減してしまうからだ。」
これを解決する唯一の方法が、今回の書籍のタイトルにある「好き」、すなわち著者の言うところの「努力の娯楽化」です。
上述の通り、インセンティブには終りが来るが、この「好き」という感情によるドライブは自分の中から自然と無尽蔵に湧き上がってくるものです。自分の趣味に没頭しているときには、時間のたつのが早く感じられるというあれです。
時間が早く感じるということは、「努力」が苦しみではなく、「快楽」に感じられているという証拠です。
だから、いくらでも続けられる、続けられるから、よりうまくなる、よりうまくなるから、より一層好きになる。この正のスパイラル、これが才能のカラクリです。
ですから、「やるべき」仕事としてそのことに取り組んでいる「普通の人」は、「好き」という感情によって取り組んでいる「才能」の人には絶対にかなわないわけです。
だからこその才能なわけです。
世の中に才能というものが、インフレを起こさない理由が非常によく分かり、またこのような文章を「好き」で書いている楠木教授の書籍に中毒になる自分の仕組みが良く分かりました。