いらないものはいらない
2015年9月13日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
大前研一氏の「低欲望社会『大志なき時代』の新・国富論」を読みました。
大前氏の本は新刊が出れば必ず読むようにしているのですが、本書でも期待を裏切らず、私が普段直感的に思っていたことを、きちんとした形で説明をしてくれていました。
それは、「いらないものはいらない」という単純な事実についてです。
現在、黒田東彦総裁率いる日本銀行は安倍総理のアベノミクスの一端を担う形で「異次元の金融緩和策」を展開しています。この政策によって、個人向け住宅ローンでも1%台という驚異的な低金利が提供されたり、銀行から日本国債を日銀が買い上げることによって、市中にマネーがあふれる状況が作られています。実際に、私自身もビジネスを行う上で銀行から借り入れを行っています。そして、昔とは比較にならないような低金利でのオファーを受けることもあります。
しかし、仮にそれが究極の0%だとしても、具体的な資金需要がなければ借りる気は起きません。なぜなら、借りたものは返さなければならないからです。もっとも従来の借り入れを金利ゼロの条件で借り換えるということであれば喜んでしますが。(笑)
ですから、私としても、具体的に家や車を買いたいという気がない人が、金利がゼロだということにつられて、買う気になるということは体感的には考えられませんでした。そして、ふたを開けてみればその通りだったということです。
この現象を著者は「低欲望社会」化と呼び、こんなことは日本以外では考えられないと言います。ですから、私を含めた多くの日本人は、「低欲望」人間なのかもしれません。しかし、逆に言うとそうではない、他の国の人々の感覚のほうがおかしいと考えるべきだと個人的には思います。
ですから、著者は、この「低欲望社会」を根本的に欲望社会に変えるような仕組み無しに、「異次元の金融緩和」を行っても反応は期待しようもないといいます。
このことを考えたときに、思い出すことがあります。それは、日本銀行の総裁人事についてです。
日本銀行の総裁であった白川方明氏は在任当時、政治家からも、マスコミからも「無能」扱いされていました。その理由は、日本がデフレを脱却するためには、ぎりぎりまで日銀が市中に出回る通貨量を増やす政策をとるべきだとする考えを否定し続けたからです。当時の白川氏の考え方は、「需要自体が不足している時には、流動性を供給するだけでは物価は上がってこない」というものでした。
そして、総裁任期の5年満了を待たずして、3月19日付で日本銀行総裁を辞職しました。安倍政権は、後任として、自らの政権の方針である「異次元の金融緩和策」に積極的である黒田氏を擁立しました。
日本銀行は、政治から独立していなければなりません。それは、その時その時の政権の方針に影響を受けず、「通貨の番人」として、言ってみれば、世の中の「空気」に鈍感で、「本来あるべき」通貨政策を断行しなければならないからです。
今から考えると、当時の白川総裁の「需要自体が不足している時には、流動性を供給するだけでは物価は上がってこない」ということはことの本質だったのだと実感できます。
現在、日本は、円安になって、株価はあがって、景気はいいと言われています。しかし、実際に平均賃金は下がり続けています。そして、なにより、私たちに「どうしても欲しいもの」という欲望が感じられないという事実があります。
著者は、あくまでも、この「低欲望社会」は、あるべき姿ではなく、野心が渦巻く活力ある社会へと欲望社会を変えるような仕組みが必要だと考えているようです。しかし、私は、もう少し身の丈に合った「いらないものはいらない」状況の中で幸せを見つけて、成長はなくとも持続可能性のある社会を日本は目指せるのではないかと考えています。
なぜなら、日本以外では考えられない『低欲望社会』という現象が起こってしまうような非常に珍しい国なのですから。