お寺さん崩壊
2017年6月16日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
世の中、様々なブラックボックスがありますが、特に若い人にとっては典型的ともいえるブラックボックスが、「お寺さん」ではないでしょうか。
「お寺さん崩壊」という全国のお寺さんの実態をまさに「暴露」する衝撃の一冊を読みました。
著者は、現在は九州の小さな地方寺院の住職をつとめておられ、過去には研究者として活躍した経験から、「ポストドクター問題」「高学歴ワーキングプア問題」というブラックボックスを明らかにした実績を持っている方です。
暴露と言っても、ベンツを乗り回し、キャバクラ三昧といったような「坊主丸儲け」っぷりを明らかにするのかと思いきや、それはごく一部の恵まれた寺のみで、全国的には存続すら危ぶまれるお寺が多いという事実を明らかにされています。
私自身も先祖代々続けられてきたお寺との関係については、長男としてしっかりと次につなげていかなければならないという責任を感じています。
しかし、同時にお寺という存在が「組織」である以上、私や秋山家という組織の一つの構成単位だけの努力では、限界があるということも事実で、将来的な「檀家とお寺さんの関係」に漠然とした不安を感じることもあるため、本書を興味深く読みました。
著者によれば、そのような事態になってしまっている根本的な原因は、まさに「檀家とお寺さんの関係」がしっかりとしたルールなく、いい意味でも悪い意味でも「いい加減」になされてきたことだと言います。
それは、戦後になって「宗教法人法」ができ、すべてのお寺さんが「宗教法人」という法人成りしたにもかかわらず、檀家とお寺さん双方がお互いの都合だけでもたれあい、それをマネージするために必要な仕組み作りをないがしろにしてきたツケが回ってきたからに他なりません。
そのため、その「もたれあい」のメリットを感じることのできない若い世代は当然、そこへの関与を避けはじめるようになります。
具体的には、「家制度」を前提にしてきた世代にとって「仏事」は日常的なものだったため、何をおいても檀家のことを第一に考えるお寺さんの存在には十分にメリットを感じられましたが、すでに「仏事」は多くの若い世代にとって、人生に数度しか必要としない臨時的なものとなってしまっています。
そうなると、今までのような「檀家とお寺さんの関係」を金銭的にも精神的にも維持することは難しくなっていくのは当然のことでしょう。
この責任を「仏事」の重要性を檀家に説明する努力を怠ってきたお寺さん側だけに求めるのは簡単です。
しかし、この問題は「家制度」の問題と深くリンクしているので、そう簡単な問題ではなさそうです。
この問題は、先祖代々の墓を引き継いでいくためには、「家」というものの重要性と意義を子世代が理解する必要があるのに、その説明をする努力を怠ってきた親世代の責任が問われる「家制度」問題がその前提にあるからです。
したがって、いくら志の高いお坊さんが単独で頑張ったとしてもそう簡単に解決するのは難しいのです。
本書において著者は、一部のビジネスライクな仕組みを取り入れた、文字通りの「宗教法人」経営にこの問題の解決のヒントを見出そうとしていますが、残念ながら根本的な解決方法としては物足りなさを感じざるを得ませんでした。
しかし、人口減少に悩む地方自治体の存続問題と同様に、この問題はこれから信じられないスピードで深刻化していくことが予想されます。そうなると、全体としては「檀家とお寺さんの関係」を維持することを諦めなければならない時が来るはずです。
その時には、お寺さんが本当の「法人」に姿を変え、きちんとしたガバナンス機能を備えたうえで、「正当なコストを負担することに同意する一部の顧客(檀家)」に対するサービスと「圧倒的に低いコストしか負担できない大多数の一見さん」に対するサービスの両方を提供できる組織に変わらざるを得ないと思います。
もちろん、そうなれば、各お寺さん間で熾烈な競争がおこなわれることになり、その運営の巧拙によって大規模な統廃合が行われることは避けられないように感じます。
少なくとも、従来の通りの姿勢を変えることのできないお寺さんの多くは本書のタイトルの通り「崩壊」を免れないと思います。
繰り返しになりますが、この問題の責任は「檀家」と「お寺さん」双方にあることを自覚し、私たち檀家のほうもきちんとした姿勢で臨まなければならないと自戒したいと思います。