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わかりあえないことから

2019年12月9日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回、「『人生会議』はコミュニケーションの覚悟の問題」と題して、厚生労働省の吉本興業作成のポスターの取り下げ騒動について書きました。

その記事の最後の私の言葉は、「コミュニケーションの難しさを痛感しました。」でした。

私自身、この「コミュニケーション」を広い意味では飯のタネにさせていただいているにもかかわらず、最も身近な女房とも分り合えないことだらけで、どこまで行っても難しいテーマだと感じています。(笑)

そこで、このテーマの本を一冊読んでみました。

劇団青年団代表の演出家平田オリザ氏の「わかりあえないことから」です。

この本は、劇作家という立場から日本語での「コミュニケーション」について様々な興味深い視点を紹介してくれていますが、特に「コミュニケーションの難しさ」原因に迫る視点が非常に印象的でした。

それは、「対話」というコミュニケーションスタイルの視点です。

以下に該当部分を要約します。

「ヨーロッパで仕事をしていると対話が本当に良く行われる。『対話』(的な精神)とは異なる価値観を持った人と出会うことで自分の意見が変わっていくことを潔しとする態度のことである。しかし、日本人はこういったスタイルをことさら苦手とする。最初の発言から意見を変えようものなら、何か自分が嘘をついていたように感じてしまう。もしくは、敗北感を伴ってしまう。」

いやはや、このことは非常によく分かります。

日本人が相手の意見が自分の意見と違った場合の反応は、「なんで分からないんだ!」と切れるか、「どうせ分からないだろう」と諦めるのいずれかでしょう。

自分自身もその例外ではありませんから。

前回の記事で見たように、厚生労働省は、あのポスターに納得いかずに批判をされた団体の方たちと「対話」をせずに、「どうせ分からないだろう」と諦めてしまいました。

そもそも、厚労省は公表前に、このポスターを作製した吉本興業側と「対話」をしたのでしょうか。それができていれば、当然に上記のような対応を一日で決定してしまうようなことはなかったかもしれません。

次に、その「対話」の視点を身に付けさせるためのヒントに関する該当部分を要約します。

「異なる価値観と出くわしたときに、物おじせず、卑屈にもならず、粘り強く共有できる部分を見つけ出していくこと。ただそれは、単に教え込めばいいということではなく、おそらく、そうした対話を繰り返すことで出会える喜びも伝えていかなければならないだろう。」

もし、厚労省とこのポスターに反対意見を出した団体の両者が、このような「対話」の概念を理解していたのならば、、、

いや、もっと言えば、厚労省と吉本興業の両者が、最初から「対話」の概念を理解していたのならば、「人生会議」というこれから決して避けては通ることのできない重大なテーマに対して、より良いアプローチができたはずなのにと、なんとももったいない気がします。

「コミュニケーションの難しさを痛感しました。」と諦めるのではなく、それは「教育」の力で解決できるものだと信じることが重要だと思います。

 

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