セミナー資料は捨てるべきか
2017年9月17日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
私の読書は偏っています。
歴史小説以外の小説を極端に避けていることはこのブログの中でも何度もお伝えしていますが、小説以外にも自分の興味のないことについては、手が伸びることはほとんどありません。
そんな手が伸びない分野の一つに、「片付け」があります。
正直に言って、私は片付けがとても苦手です。
もしこの苦手分野が解消されたなら私たち夫婦の口論の35%くらいは解消されるのではないかというくらい苦手です。
そんな私は、「スティーブジョブズの机の上は汚かった」という真偽不明の逸話を持ち出して、「仕事ができる人間は机が乱雑になっているが、どこに何があるかはすべてわかっており、それはコントロールされたカオスである。」という独自説で多方面からの批判に抗っています。(笑)
ですが、かなり前(2015年12月27日)の情熱大陸にて、片付けコンサルタントの近藤麻理恵さんの「リバウンド率0%の奇跡の片づけ」についてを見て、そのリバウンド率の低さにさすがの私も驚き、彼女の著書「人生がときめく片づけの魔法」をすかさずアマゾンで購入し、積読しておりました。
それから一年半が経ちようやく積読リストから外れ、読了したという次第です。
彼女が本書で紹介する「片づけ」の極意の中で、「片づけ」嫌いの私が反応を示した点が三点ありました。
まず一点目は、廃棄するかしないかの基準を「ときめく」かどうかに設定していることです。
そもそもものが片付かない最大の原因は、「不要」なものが多すぎることにあります。
そして、それらは「不要」なもので捨てても全く問題がないわけですから、問題の本質は「捨てる」基準を設定できないことにあるということになります。
これがきちんと自分の中で設定されれば、躊躇なく「捨てる」ことができ、その結果、片付くというわけです。
その基準を「再び使うかどうか」という未確定な事項にせずにあくまで「ときめき」という自分自身の主観に置くことでその実効性を高めているということなのだと思います。
二点目は、「セミナー資料」の扱いについてです。
彼女のセミナー資料についての基準は問答無用の「全捨て」です。
この基準についての想定される反論は、「いつか勉強しなおす可能性がある」ですが、彼女のこの反論に対する以下の再反論は非常に明瞭かつ軽快なものでした。
「セミナーというのは学んだ内容を実行しなければ、意味がありません。つまり、受けた瞬間に価値がある。その瞬間に実行できるかどうか。セミナーの内容などというものは、その講師の書籍を読めば全部書いてあることがほとんどで、それにもかかわらずわざわざ高いお金を題して直接講師の口から聞くのは、その空気感とか講師の情熱とかを感じに行くためだけです。」
その通りだと思います。
私もその点では全く同じことを思っています。
ただ、私は彼女のこの基準にもう一つ小技を加えることを提案したいと思います。
それは、「ときめき」を自分自身のノートにピックアップした後、全捨てすることです。
講師の話の中で、もしくはその資料の中に書かれているものの中で、「ときめき」を感じた部分を自分のノートに簡潔に書き留めることです。
こうすることで、全捨てすることで「片づけ」が進むということとともに、実行に移すべきことがより明確そして単純化されることで、その実行の可能性も高まるという副次的効果も得られると思うからです。
ちなみに、私は彼女の指摘についてきっちり自分のノートに書き留めた後、すかさず書籍をランゲッジ・ヴィレッジのスタッフにプレゼントしました。
最後の三点目は「捨てることで決断力が磨かれる」ということです。
きっぱりと「全捨て」を勧める著者は、捨ててしまったことであとあと問題になったというようなクレームが全くないことの理由について以下のようなことを書かれています。
「仮に、書類の内容について後から必要となった時、自分が『持っていない』ということが明らかになっているので、探す必要がありません。すぐに頭を切り替えて、知り合いに聞いたり会社に問い合わせたり、自分で調べたりすることしかないのです。すると、たいていのことは案外あっさり解決してしまうことに気づかされるのです。こうした経験を繰り返すと、とにかく行動すれば必要な情報は必要な時に得られるということが感覚として分かります。その結果、判断の責任を他人にゆだねなくなるのです。つまり、物を捨てることで「決断力」が磨かれていくのです。」
この三つ目のポイントによって、彼女の提唱する「片づけ」の本質は単にモノを整理するということではなく、自分自身の心の整理なのだということに気づかされました。
「身近なことを整理できない人間はより大きなことを整理することなどできない。」
まさか、「片づけ」の本を読んだ結果、このような重大なことに目を向けさせられるなど思いもしませんでした。