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ドン・キホーテ

2019年10月23日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

今回は、「ドン・キホーテ」について書いてみたいと思います。

いや、「激安の殿堂」の方ではなくて、セルバンテスの小説のほうです。

この「激安の殿堂」のおかげもあって、この名前は日本人であっても知らない人はいないほど有名ですが、お恥ずかしながら小説嫌いの私はこの物語の内容については冒頭写真のような「風車に突っ込むドン・キホーテ」という物語の断片的エピソードくらいしか知りませんでした。

そこで、一念発起して読んでみました。

あらすじは、ものすごく短くまとめるとこんな感じです。

「17世紀にヨーロッパで流行していた騎士道物語を読み過ぎて妄想に陥った下級貴族の主人公が、自らを伝説の騎士と思い込み、『ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ』と名乗って、痩せ馬のロシナンテにまたがり、近所の百姓であるサンチョ・パンサを引きつれ遍歴の旅に出かける物語。」

まとめすぎてしまいましたが、、、要するに、勘違いの妄想を現実の中で繰り広げる「痛い」オジサンのドタバタ物語です。

小説が嫌いな私としては、それぞれのエピソードにおいて、退屈こそしませんが、やはり「だから何?」「大の大人がこのエピソードから何を学べばいいのか?」という批判的な気持ちが湧いてきてしまったことは否定できません。

ただ、あとがきまで読んで、ようやく「ああ、これが言いたかったのね」と納得することができました。

少し長くなりますが、その部分について以下に引用します。

「セルバンテスは人物を描く場合、決して断定的に描いたり善人、悪人と決めつけたりすることはない。しばしば、ドン・キホーテは高邁な理想主義者、そしてサンチョは卑俗な物質主義者として固定的にとらえられがちであるが、これは出発地点における彼らの立場であるにすぎず、この小説における二人の本当の姿はその後の互いの関係の中にある。二人は苦労を分かち合いながら互いに影響を及ぼしあい、その関係が微妙に変化していくことに読者は気づかされる。この小説の曖昧性、あるいは同時的認識の背後にはセルバンテスの生涯が色濃く影を落としている。この小説が書かれたのは、『太陽の沈むことなき大帝国』であったスペインが急速に衰退している時であった。つまり、身の程をわきまえぬ願望に翻弄され、むちゃな戦争を繰り返し、次第に身をすり減らして衰えつつあるときであった。そして、祖国と同じ運命をセルバンテスもたどったのだ。22歳の時、セルバンテスはレパントの海戦で英雄的な活躍をした。ところがその戦いからの帰途、トルコの海賊に襲われ捕虜になり、5年間奴隷生活をおくる。33歳の時、11年ぶりに祖国の土を踏むが、戦争当時の手柄は無視され、貧しい生活を余儀なくされる。しかも、50歳にもなって、仕事上のトラブルで牢獄につながれたのである。この小説は、セルバンテスが自らの若き日の英雄的活躍とその後のうらぶれた生活を祖国スペインの歴史の流れに重ね合わせて回顧したものと考えるのが自然だろう。自分の若き日の熱狂は、結局落ちぶれてしまったことを考えれば、間違いだったのだろう、しかしその熱狂は純粋であり、美しいものであったことも否定できない。バカなことをしたものだ、、、だが、夢中になって、よくやったな、、、。このように、彼は過去を否定すると同時に肯定し、泣きながら微笑んだことだろう。どっちつかずの曖昧性というよりは、両方の感情の複合体が、この作家のうちに芽生えたのである。」

このように解説してくれた後、その物語を振り返り、理解することはできましたが、その解説がない中で、この物語を読んでいる限りにおいては、「『痛い』オジサンのドタバタ物語」以外に感じるところがなかったと言わざるを得ません。

自分の感性の低さにがっかりではありますが、誰でも知ってる「ドン・キホーテ」の内容を知ることができたことだけは意味があったと思っています。

ちなみに、「激安の殿堂ドン・キホーテ」の名前の由来として、「ドン・キホーテは様々な悲喜劇を経験しながらも既成の常識や権威に屈しない行動理想主義者であった。その姿のように、新たな流通業態を創造したいという会社の願い」にちなんだそうです。

流通業界の革命児として飛ぶ鳥を落とす勢いのこの会社には、かつてのスペインやセルバンテスとは異なり、いつまでのその勢いを維持していただきたいと思います。