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「越境文学」という奇跡

2023年2月12日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2023年2月8日)の産経新聞に小さいけれども非常に興味深い記事がありました。

この記事を以下に要約します。

「米国から外国語指導助手として来日して15年余り。グレゴリー・ケズナジャットさん(39)は谷崎潤一郎ら近代文学の研究者として法政大で教える傍ら、母語ではない日本語で端正な小説を書く。『第2言語で書くと摩擦を感じて言葉に対して繊細になれる』。そんな『越境文学』の書き手が第168回芥川賞に初めてノミネート。受賞は逃したが注目された。候補作『開墾地』(講談社)では、生まれ育った米国から日本の大学へ留学した主人公の男性が久しぶりに実家へ帰省する。英語と日本語との間を行き来する主人公の思索。イラン出身で血縁関係のない父の人生とペルシャ語の懐かしい響き…。異なる言語と文化のはざまで生きる人々の揺らぎを静かな筆致で描いた。」

私はこの小さな記事を見て、日本語と英語の言語的距離を目の当たりにしながらもその距離をいかに乗り越えるかということを仕事にしている人間として、これ以上ない「衝撃」を受けました。

私は自ら主宰する「文法講座」を年に数回ほど自らも生講義を担当することがあるのですが、その時には必ず次のような日本語と英語の違いについて力説するようにしています。

「英語はSV SVO SVCという三つの骨格が絶対的なルールとして存在しているため、話し手が何人いたとしても同じことを言いたい場合には多少の揺れや違いがあってもほとんど同じような文の形に収まります。一方、日本語はそのような骨格が存在しておらず、アメーバーのような言語なので話し手の数だけ異なる文章が作られる可能性が高いのです。だから英語を教える側も学ぶ側も、日本語を教え学ぶことに比べ圧倒的に楽な立場にいるという認識を持ってほしい。また、そのことから、英語という言語は論理的なことを言うのに非常に便利であり、日本語という言語は感情の細かな差を表現するのに適しているという正反対の性質を有しているということも理解してほしいです。」

このように伝えて、英語学習への心理的ハードルを下げ、学習者のモチベーションを高めるように仕向けています。

またその際に、次のような個人的な感想も伝えることがあります。

「だから、ノーベル文学賞は日本人にとってものすごくハードルが高いと思うのです。なぜならその評価をするのは学者・作家ら18人からなる学術機関『スウェーデン・アカデミー』であり、少なくとも日本文学の評価にはその翻訳が用いられることになるはずだから。その翻訳が英語なのかスウェーデン語なのかは分かりませんが(以前のブログからおそらく英語だろうと思われますが)、いずれにしても上記のような正反対の性質を有しているヨーロッパの言語に翻訳された時点でその日本文学は本来書かれている感情の細かな表現は大方消えてしまうのは間違いないはずです。その意味では、論理性よりも文学性を強く帯びている日本文学がフェアに評価されていたら、ほとんど毎年日本人が受賞してもおかしくないんじゃないかとひそかに思っています。(笑)」

実はこの問題は従来からも指摘されているものです。

とはいえ、グレゴリー・ケズナジャット氏の「第2言語で書くと摩擦を感じて言葉に対して繊細になれる」という「越境文学」だからこその強みを堂々と訴えている彼の言葉には、日本人に対する英語教育という日本語と英語の言語的距離を目の当たりにしながらもその距離をいかに乗り越えるかという仕事をしている人間として尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。

このような問題意識を持ったうえで、彼の「越境文学」による芥川賞ノミネートという事実は、この小さな記事で取り上げられた内容以上の「快挙」だと私は訴えたいと思うのです。

小説嫌いの私ですが、さっそく「開墾地」を読んでみたいと思います。

 

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