バイアス盲点
2023年9月3日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
先日(2023年9月3日)の読売新聞の朝刊に、私にとってはかなり「衝撃的」な記事を見つけましたので、以下、要約引用します。
「合理的に物事を判断していると思っている私たちの思考にも気づかない盲点があるという。感情に流されたり、先入観にとらわれたりして、考え方に偏り(バイアス)が生まれてしまうが、自分ではそのバイアスに気づかない。『バイアス盲点』と呼ばれる。厄介なのは、自分のことは棚に上げ、他人のバイアスはよく見えてしまうことだ。『いやいや、自分はバイアスを持たず合理的に考えますよ』。バイアス盲点といった、もっともらしい専門用語を聞かされても、納得できない自分もいる。そんな時、サンフランシスコの科学博物館にある展示を教えてもらった。その展示は便器に水飲み用の蛇口がついている。横には普通の水飲み場がある。『この便器は一度も使用されていません。水は完璧にきれいです。あなたはどちらの水を飲みますか。それはなぜ?』。展示の名前は『a sip of conflict』。葛藤の一口といった意味だろうか。合理的に考えれば、まっさらの便器であり何の問題もない。しかし、いくら未使用とはいえ、いつもは大小便が流れ込む便器だ。そんなイメージが頭から離れず、写真を見ただけで『とてもじゃないが、飲みたくない』と思う。合理的に考えているつもりだったけれど、自分のバイアス盲点に気づいた。地球温暖化やコロナ禍をめぐって科学的な情報が伝わらず、社会に分断が生まれているとされる。『科学的に正しいことがなぜ理解されないのか』しかし、便器の蛇口から出るキレイな水への嫌悪感を省みれば『未使用の便器で汚れてない水ですから』と言った『科学的な議論』の限界に思いが至る。お互いのバイアスへの気配りも大事なのだろう。」
この記事を見て、私がなぜ冒頭のように「衝撃的」だと思ったのかを以下説明したいと思います。
「福島第一原発の処理水海洋放出」に関しては、ほぼすべてのマスコミは、日本政府は国際機関(IAEA)の基準を満たすなど完全に「科学的根拠に基づいた」問題のない対応をしているのに対して、中国政府はこの問題を外交カードとして利用するために、悪意ある「科学的根拠に基づかない」批判をしているという論調であり、ほとんどの日本国民もそれを当たり前のこととの受け止めているように思います。
確かに、中国やフランスが排出している処理水の放射線含有量は今回の日本の処理水のそれを圧倒的に超えるという事実があるのにもかかわらず、中国政府がその批判をし続けることは、まさに「科学的根拠に基づかない」ものだと認識せざるを得ません。
少なくとも私は、地球温暖化やコロナ禍に限らずあらゆる物事に対して、常に科学的な情報に耳を傾け、合理的な問題解決をするのが何よりも重要なことだと考える合理的思考の持ち主でありたいと思ってきました。
しかし、今回の中国の批判を「またか」と否定的に受け取るのと同時に、日本側の主張に対してもかなり大きな「違和感」を感じていました。
ただ、その「違和感」の根源が一体何なのか自分でもよく分からずに悶々としていたのですが、それがまさに「バイアス盲点」であったとこの記事が見事に説明してくれたのです。
つまり、何かに対して他人を納得させるためには、「科学的根拠」だけではなく、常に「バイアス」の存在による「科学的な議論の限界」が存在していることを前提とした丁寧なコミュニケーションが必要ではなかったかということです。
つまり、福島原発の事故は起きてしまったことも事実、その事故処理のために発生する処理水を無制限には貯蔵することができないことも事実、そして、どこかのタイミングで海洋放出の必要があることも事実ですが、それには近隣諸国の納得を得る必要もあり、彼らの「バイアス」は当事者である私たち日本人のそれよりもずっと大きいはずであるという認識を持つことを忘れてはならないということです。
本記事の「便器の蛇口から出るキレイな水への嫌悪感を省みれば『未使用の便器で汚れてない水ですから』と言った『科学的な議論』の限界に思いが至る。お互いのバイアスへの気配りも大事なのだろう。」という一文が、この問題の本質をすべて言い当てているように思うわけです。
日本は、中国側がこの問題を外交カード化していると批判する前に、彼らのバイアスを取り除く努力を事前にしたかどうか、そしてその努力は十分だったかについて今一度検証する必要があるように思います。