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バカの災厄

2022年9月17日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

今回ご紹介する「バカの災厄」という一冊ですが、その副題は「頭が悪いとはどういうことか」というこれまたそれに輪をかけて強烈なものです。

その著者は、明石家さんまさんの「ほんまでっかTV」への出演で有名な池田清彦先生です。

このようなTV出演の多い学者さんの直接的で挑戦的なタイトルの本を手に取るのにはかなり勇気がいるはずなのですが、本書に関してはかなり自然体に手が伸びました。

というのも、もうだいぶ前にご紹介した本ですが、養老孟子先生の「バカの壁」を読んだことで、「バカ」という言葉にすでに免疫がついていたからということもあるのかもしれません。

後から知りましたが、実際に著者の池田清彦氏は、生物学者であり、養老先生と同じく「昆虫採集」をライフワークとされているという点で共通し、「虫との大切な時間」という魅力的な演題で対談をされているという仲でした。

そんなこともあって、変な先入観もなく落ち着いた気持ちで読み始めることができましたし、実際読んでみると養老先生の考えに非常に近い、いたって説得力の高い内容でした。

まず、本書において著者の言うところの「バカ」という言葉に対しては次のような定義をされています。

「『概念が孕む正しい同一性はひとつしかない』と思い込んでいる人のこと」

これをもうすこし分かりやすく説明します。

世の中はすべて言語でもって説明されていますが、実はそれはかなり無理があって、概念の言葉への押し込み方には非常にあいまいでいい加減なところがあって、一つ一つの概念ごとに「自分の考えていることと、他人の考えていることは違う」という事実があります。

「バカ」はそのことを理解しておらず、自分の考えていることがこの世界における唯一の真実だと信じることから他人を痛烈に批判・否定せずにはいられない人だということになります。

この説明によって、個人的なけんかや国家的な戦争まで、この世で起こっている人間にとって不都合な事柄のほとんどは少なくない数の人間が「バカ」であることから起こっていると言います。

いや、人間という存在すべてが、それぞれに程度の差はあれど本来的にそのような性質を有していると言えるかもしれません。

このような考え方にのっとれば、「一神教」的宗教は、著者が定義するところの「バカ」でなければ入信することはできないことになるような気がします。

その意味でいえば、「八百万の神」の宗教である「神道」を有する日本人に限ってはその割合は比較的低いはずですが、著者は、日本人にとっては「お上の言う通り」「決められた規則は守れ」と言った自ら頭を使って考えることをさせてこなかった「国民教育」そのものが「一神教」として機能してきたのと断じています。

実際に、戦中における「鬼畜米英!」からの戦後の「マッカーサー万歳」そして、コロナ禍における「マスク絶対主義」といった「バカ」の事例に事欠かないわけですから。

このことから、「バカ」は世界共通の人類の性質と言えるのではないでしょうか。

これをもって著者は次のように達観されています。

「そもそも言語は強制的に同じものとみなすように言葉に概念を押し込むものであり、人間の特殊能力の賜物である。それによって人類は発展してきたことも事実。しかし、私たち人類はその特殊能力を下手にこじらせてしまった。誤解を恐れずに言えば、『バカ』というのは、人間が言語や自我というものを獲得したプロセスにおける『副作用』のようなものだ。『人類の宿痾(慢性の病)』と呼んでもいいかもしれない。(一部加筆修正)」

つまり、私たち人間はデフォルトで「バカ」だということなんですよね。

こういったら元も子もないように思えてしまいますが、だからこそ常に「自分の考えていることと、他人の考えていることは違う」という事実を意識して生きていくしかないというのが著者の主張です。

 

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