一体、何を処分するのか
2011年5月29日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
すでにテレビ等でもこの問題は取り上げられていますが、5/27金曜日の読売新聞にて以下のような記事がありました。
東京電力によると
「(東京電力の吉田所長の独断による)原子炉への海水注入継続は正しい判断だった」
しかし
「報告体制の不備を理由に吉田所長を処分する方向だ」
というものです。
ここで、世間の見方はどうでしょうか?私自身次のように思いますし、大方の人はそのように思っているのではないでしょうか?
「政府と東電本店が、打算と無能さで醜態をさらけ出しているその最中に、現場はやるべきことをきちんとやってきていた」
また、さまざまな識者の意見を要約すると、
「確かに吉田氏個人としては、彼の持つ知識に基づいて、最大限問題解決を行ったことは大きな評価に値する、しかし、組織人もしくは組織を考えれば問題である。」
?????結局吉田所長はどうするべきだったのでしょう。
組織の仕組みを守ることで何が守られるのでしょう。
その組織の存在が評価に値する範囲においてのみ、上記の意見が成立すると思うのですが。
今回の問題は、世界史上人類が体験した災害の中で一、二を争うもので、既存のマニュアル、既存の組織の仕組みにて解決することが不可能な問題です。
唯一の解決方法は、トップが後の世の中でどう検証されたとしても、その方法が一番で、それが即断即決で実行に移されたと評価されるような「能力」を持った人間が、全責任を負って、法律、組織の仕組みを超越した形で対応することです。
そうなっていれば、吉田所長は、何もこのような状況下で決断を下す必要もなかったということになります。
翻って、政治の世界はどうでしょうか。
おそらく、何ヶ月かあと、総理大臣に最もなってもらいたい人ランキングの上位に「吉田所長」がのってくることになるのではないかと思いますが、なぜこの国は、この人になってもらいたいと思える人がその候補者にもなりえないのでしょうか?
もう少し、最終責任者の責任の重さ、必要とされている能力を十分理解したうえで、立候補するべきだし、また、その人間を決める一人ひとりの代議士を選ぶ私たち有権者も理解したうえで投票するべきだと考えますがいかがでしょうか。