人生を面白くする本物の教養について
2016年1月13日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
私は常日頃、「自分で考える」ことを大切にしています。
このことの重要性は、仕事に限らず生きていくうえで非常に重要だと思っていますが、この重要性をより明確に納得させてくれる本に出会いました。 それが、ライフネット生命の会長 出口治明氏の「人生を面白くする本物の教養」です。
著者は、他の方の言葉を引用されながら、 「教養とは一般的にいろいろな知識や情報をどれだけ持っているかだと思われがちですが、私は物事を自分の頭で考え、自分の言葉で意見を表明できるようになるためのものであり、それは究極的には自分の人生を面白くするためのツールであると思っています。」 という趣旨でこの教養の本質を語っておられます。
本書の中で、この「自分で考える」ことの重要性を示すためにフランスが出生率回復に成功した事例をあげられていました。
フランスもかつては少子化に悩んできましたが、シラク大統領の時代に出生率を見事反転させることに成功しました。その際のシラク大統領の基本的な考え方はとてもシンプルで、人口を増やすためには女性が赤ちゃんを産みたいときに産むことができる状況を「社会の責任」で整えなければならないというものでした。
第一には、赤ちゃんを産んでも経済的に困らないように、子供が生まれるたびに手厚い給付を実施しました。
第二には、子供を持った働く女性が困らない環境を整えるため、地方自治の責任で保育所を完備し、待機児童をゼロにすることが決めました。
第三には、子育てで最長三年間休職しても、職場にずっと勤務していたものとみなし、元の役職に戻れることを保証しました。
これによって、フランスはわずか10年で出生率が1.6程度から2.0を超えるレベルにまで回復し、少子化に歯止めがかかりました。 これらは、日本においても多くの学者の皆さんが主張されていることで、処方箋としては当然のこととしてあります。
しかし、フランスは確実に実行し、日本ではいつまでたっても実行されません。
その違いは何から来ているのでしょうか?
それは、「子供は社会の宝」という至極当たり前のことを、心底社会全体で当然視しているかどうかです。 少子化の問題と高齢化の問題はセットで考えるべきことです。
そして、これらの問題の解決は卵が先か鶏が先かと言ったような関係のように思えますが、「子供は社会の宝」ということが社会全体で一致されていたならば、確実に少子化の問題が先であるはずです。 その際に、著者は非常に厳しい優先順位を披露されています。
船が沈みそうになった時の救助の順序が、1.子供 2.女性 3.若い男性 4.お年寄りというものです。種としての人類の存続を第一の目的としているならばこれは仕方のないことです。
それを、やり切ったのがフランスで、有権者の内で高齢者の票が最も安定票である日本では、政治家がその優先順位をどうしても、高齢化対策優先にしてしまうのです。
高齢者も若い世代も「自分で考える」ことをせずに、行くところまで行かないと、こんな単純なことに気が付かないのです。 だから日本では、働く女性に対する経済的な協力も、安心して働ける環境も、全て企業に押し付けようとします。
企業は、利益を追求することが第一義的な目的である組織です。そのような組織にそれらを押し付けるということはそもそも筋が違います。
元に戻って、「子供は社会の宝」です。 であれば、社会がそれを前提とした負担を負う覚悟をしなければなりません。どのくらいの覚悟かというと、企業がむしろ利益を追求したら、女性に子供を産んでもらいたいと心から思えるようになる仕組み作りをさせられる程度までです。
フランスはそれをやったということです。
なるほど、教養とは、決して、知識や情報の詰め込みではないことが良く分かりました。