巨星墜つ
2011年10月9日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
パソコンの父スティーブジョブズ氏が亡くなりました。
彼の人生についての本は何冊か読みましたが、その中で人と違うことを達成することの厳しさというものを強く感じさせられました。
目的の達成のためならどんな犠牲もいとわない。
目の前の人の幸せよりも地球上の多くの人の幸せを優先するために、非情な決断をつぎからつぎへと実行する。
そのことは時折、通常の精神を持っていないのではないかという誤解を誘発したり、徹底的に人から恨まれることにもつながりました。
つまり、彼のそのようなパーソナリティの犠牲になった人はたくさんいるらしいのです。
そして、そのような人たちから見れば彼はとても『顔も見たくない嫌な人』のはずです。
本を読んだ後で、私は決して彼のような人にはなりたくはないと思いました。
それくらい、強烈でした。
しかし、それらを犠牲と呼ぶとしても、その上に、どれだけのよい影響を世界の人々に与えたかを私たちは彼の死をもって改めて思い知らされました。
会ったこともなく、まったく身近ではない人ですが、確実に私たちの生活を変えた人がこの世からいなくなるのは、なんともさびしいと感じました。
彼は、56年という、あまり長くない人生の中で、私たちが想像もしていなかったが、実はとてもほしいものを次から次へと提供してくれました。
コンピューターという個人が持ち得ないもの(今で言えば、ロケットぐらいの感覚か?)をパーソナルなものとして私たちの手に届くようにしてくれました。
アニメーションという職人の手作業でやっていくしかないと考えられていたものを、そのコンピューターを使って、活き活きとした映画として私たちに届けてくれました。
そのときの気分でいろいろな種類の音楽を聴きたいと考える私たちに、ポケットに何千曲も入れて歩けるようしてくれ、なおかつ、ほしい曲を一曲だけ思いついたときに買うことができるようにしてくれました。
彼自身が身近にしてくれたパソコンを、音楽と同じくポケットに入れて持ち歩け、なおかつ電話もできるようにしてくれました。
このような創造性と、人格の一般的な感覚からの逸脱性を考えると、彼自身も言ってみれば世界への貢献のために犠牲を払ったのかなと考えてしまいます。
そして、彼の死への世の中の反応を見ると、それへの感謝を示さざるをいない気持ちにさせられます。
ランゲッジ・ヴィレッジも他にはないサービスです。
彼のように非情になることはないですが、その目的の達成へのコミットメントは見習うべきかと思っています。
ご冥福をお祈りいたします。(RIP)