広告の本質
2015年9月9日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
広告コピーという得体のしれない代物を、我々素人にもガツンと本質から理解させてくれる貴重な本を見つけました。
糸井重里氏と並んで日本を代表するコピーライターと称される仲畑貴志氏の「みんなに好かれようとして、みんなに嫌われる。」という本です。
広告コピーは「究極のコミュニケーション手段」であることを納得させられる非常にパンチの効いた文章があふれています。そのすべての文章がこれまた「究極」なのですが、その中でも選りすぐりのものをご紹介します。
「あの人は一人じゃない」
事前の調査で、「減塩ラーメンを選びますか?」という問いに対して、大多数の賛同というデータがでたという。しかし、数字に押されて売り出した減塩ラーメンは売れず、イメージ的にはその真逆の価値である激辛ラーメンが売れた。これはどう捉えればよいのだろう。答えは、「一人の人間の中には、複数の人格や価値観が存在している」ということである。事前の問いに賛同という形で反応を示したのは、健康に留意するというその人の中の理性的な人格である。ところが、即席ラーメンを食べるときのその人は、「腹減った、とりあえず何か食お」という、緩い価値観で行動している。したがって、緩い価値観で選択されているラーメンという商品を、理性反応の数字の集積で判断したのが間違いなのである。
「お尻を洗う価値」
改良、複合による商品作りが大半を占める現代で、全く新しい価値を連れてきた商品に出会うことはほとんどない。40年近く広告やをやってきたが、世にない価値を提案する商品を担当した記憶は、「ウォッシュレット」と「ウォークマン」くらいだ。そのような商品には、飾りはいらない。過剰な付加イメージの遡及はかえって新しい提案を見えにくくする。TOTOでの担当者からの話は初めのうちは納得がいかなかった。お尻を洗うという行為にどれだけの価値があるのかがよく分からなかった。その時、設計者の一人が絵の具のチューブとティッシュをもってあらわれ、「この絵具を片方の手のひらにつけてティッシュで拭いていってください。」と言った。言われた通りにした後、次のように言われた。「もうティッシュには尽きませんよ、でも手のひらを見てください」。見ると絵の具がまだくっきり手のひらに残っていたのだった。「お尻は洗わないと、こーなのです」。これはイケると思った。
そもそも、広告というのは、嘘くさいものです。つまり、自分(自社)で自分(商品)を褒める行為ですから、「この商品いいですよ」と言ったところで、誰もその通り信じようとはしないというところからスタートしているからです。
このように、最初から過酷な条件の下で、効果的なコミュニケーションを成功させることを求められているわけですから、広告コピーは「究極のコミュニケーション手段」であるということはその通りだといえます。
その難しさと、それをクリアしたクリーンヒットが上記の二つの引用です。
著者ご本人の言葉だけでもその本質が十分に表現されていると思いますが、この本の解説をされている脳科学者の茂木健一郎氏の言葉も非常に秀逸でしたので最後に載せさせていただきます。
「人々の記憶に残るということは実は大変なことである。脳の働きから見ると、何を記憶すべきで、何は記憶しなくてよいかということを無意識に決めているのだ。広告コピーは人々が意識して覚えようとするものではないから、まずこの第一関門を突破しなければならない。そして、仮に見事記憶に残ったとしても、その後、月日を経てそれらの言葉が根付くかどうかはまた別問題だ。これが第二関門。記憶の定着は送り手の意図によっては保証されない。思い入れを込めて語ったとしても、それが相手の心に記憶されるとは限らない。子供のころ、母が発した言葉で、なぜか心に残っていることがある。当の本人はそんなことを言ったことをすっかり忘れてしまっているが。力のあるコピーは、子供の心になぜか残る母の言葉に似ている。不特定多数の人々の心に刺さる『母の一言』を生み出すのが優れたコピーライターなのだ。」