顧客が何を求めているのかを考える
2017年8月28日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
先日(2017年8月9日)の日経MJの記事に、「NY発バーバー存在感」というタイトルで、海外セレブも通う米ニューヨークの「ルドロー・ブラント」という床屋さんが日本に進出したというニュースを取り上げていました。
私も整髪は、美容院というよりは温かい蒸しタオルによる髭剃りの至福の時間付きの床屋派なので、好感の持てる記事として読み始めました。
「カットとシャンプーで7000円で従来の理髪店に比べ3000円ほど割高となる。1930~40年代のアメリカの理髪店をイメージした内装で、家具から天井材や床材まで北米から輸入したアンティークを取り入れた。カット時に座る椅子は50年代にアメリカの理髪店で使われていたものを日本人向けに改良した。」
普段、髭剃りまで入れて1,980円の床屋さんをベースにしている私からすると、7,000円という金額は別にすると、古き良き時代のアメリカの雰囲気を体現している店舗コンセプトについては、非常に興味深く感じました。
ただ、次の説明については私は英語・国際コミュニケーションの立場から疑問を持たざるを得ませんでした。
「店頭に立つスタッフは入店前に渡米し、アメリカ式のコミュニケーションを学んだ。スタッフは友人感覚で客と接し、客が帰る際は握手やハグで感謝を伝える。」
う~ん。これはどうなんでしょうか?
日本の顧客は、7,000円払って、お友達対応を求めるものだと分析されているとすると、なんだか少し舐められているのではないかと感じてしまう私はひねくれているのでしょうか。
なんとなく、キッザニアの「お仕事ごっこ」に喜ぶ子供たちと同列に日本人の大人が「アメリカごっこ」に喜ぶものだとみられているような気がしてしまいます。
いやそれ以上に、ここにもまた「グローバル化と国際化の違い」の問題が背景にあるような気がしてしまうのです。
アメリカの古き良き雰囲気に感動することは当然あっていいですが、「アメリカごっこ」によってその感動を表現するのは、グローバル化の結果であり、そうではなく、日本人として素直にその感動を表現するのが国際化に基づく方法だと思います。
にもかかわらず、お店の側から、「アメリカごっこ」というグローバル化を強制されるのはなんとなく納得がいかないのです。
当然ですが、そんな面倒なことを言ってないで、これもビジネスなのだから、それをよしとする人々を素直に喜ばせるのが、ビジネスマンとしての正解だと言われてしまえばそれまでです。
まだまだ青いと叱られそうなので、これくらいにしたいと思います。