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文系の壁

2018年4月20日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

だいぶ前にご紹介した「バカの壁」シリーズとして合わせて購入していた「文系の壁」をようやく読みました。

本書は、解剖学者の養老先生と4名の理系分野で活躍される方々との間で交わされた「文系」には何が足りないのかについての対談をまとめたものです。

この本を読んでいると、根っからの文系人間である私は、彼ら理系の知性の持ち主が寄ってたかって、文系を貶しまくっているように聞こえ、あたかも欠席裁判の様相を呈していました。

あまりにもその裁判が厳しくて途中で読むのをやめようかなとすら思えてきたのですが、なんとか最後まできちんと読みました。(笑)

心折れそうな所も何度もありましたが、さすが養老先生にしてもそれ以外の4名の方々にしても「理系」の最先端の知性が集まって文系批判をしてくださると、素直に「なるほど」と思えることがたくさんありました。

その中で、私が気付かされた「文系」の問題について書きたいと思います。

それは、文系とはいかに「分かったふり」の体系であるかということでした。

それは次のような指摘で感じたものです。

「文系の人は自分が分からないことを言葉で解決しようとします。例えば、コマは回っているから倒れない、自転車は走っているから倒れないということを『理屈』だと思い込んで納得し、それで解決済みにしてしまう。回っているものがなぜ倒れないのかは考えようとしません。」

「文系の壁」とは何かを、ものすごく具体的に説明していただいてしまった感じがして、大いに反省をしました。(笑)

ただ、一方でこの対談を読んでいると「理系の壁」というべきものも見えてきたように感じます。

それは、どんなことをしても「実験」して確かめないと気が済まない。しかも、その実験も、まったく同じ条件の下で突き詰めなければ、「実験」にはならず、ほんの少しの狂いがあったら、もはやそれは理系的(科学的)ではないと断罪してしまうようなところです。

文系人間からすると、それは「融通の利かなさ」ととれるものです。

文系にはこの「分かったふり」があるから、「適当」なところで考えるのを切り上げ、その理論を理系にはないスピードで世の中に実装する具体的アクションに移ることができるのだと思います。

常に前提を疑って確実に科学的に証明することばかりを考えていることは、それは社会とのかかわりとは関係なくそのことに没頭する「オタク」の姿勢だということになってしまいます。

この段階にいつまでもとどまってしまうことは、社会が前に進むスピードを緩めてしまうことになるのではと思います。

つまり、文系の力とは理系が陥りやすい「オタク」の状態を早い段階で切り上げる力とも言えるのではないでしょうか。

この世の中はやはりバランスで成り立っていると思います。

そして、文系は、文系の壁は「分かったふり」であること、理系は、理系の壁は「融通の利かなさ」であるということを自覚しながらお互いに協力することが何よりこの社会を健康的に前進させることにつながるのではないかと思いました。