日本語を理解して話すということ
2019年11月8日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
先日、地元の金融機関主催のセミナーにて、このブログでも何度も著書をご紹介している明治大学の斎藤孝教授のお話を聞く機会がありました。
齋藤先生と言えば、私がランゲッジ・ヴィレッジを立ち上げて間もない2005年春にフジテレビの「とくダネ」という番組で取り上げていただいた時に、コメンテーターとして非常に好意的なコメントをしていただいたことで、こちらが勝手に親近感を持たせていただいていたこともあり、このセミナーを非常に楽しみにしていました。
番組に取り上げていただいた時の様子については、「ランゲッジ・ヴィレッジの歴史」の記事で紹介していますので是非ご覧ください。
今回のセミナーにて直接お話を聞くことで初めて、齋藤先生のパーソナリティに触れましたが、一言で言うと「自分自身に知識があることを隠さない人」です。
もっと言えば、「自意識過剰」なキャラクターを前面に押し出す人です。
もちろん、講演を盛り上げるために、敢えて強調してやられているのでしょうが、それでも最初から最後までそのキャラを崩さなければもはやそれは本物です。(笑)
ただし、齋藤先生が「自意識過剰」の誹りを恐れずに、そのキャラを打ち出し続けるのには、日本人の「知性」の低下を何とか食い止めなければならないという強い使命感からであるということが、今回直接お話を聞くことで理解できました。
今回のセミナーにおいて私が最も重要な「気づき」を受けたのは、以下の言葉を聞いた時でした。
「ある日本語の単語を聞いて、その漢字が思い浮かばなければ、その人は頭の中でそのことを理解できていないということです。」
皆さんご存知の通り、私は英語教育を生業としていますが、「小学校英語」には明確に反対しています。
なぜなら、小学校では、英語ではなく、もっとやるべきものがあると思っているからです。
その「もっとやるべきもの」の中で優先順位の最も高いものが、自分自身が使用する日本語の単語ならば、すべて「その漢字が思い浮かぶ」ように子供たちを教育することだと考えているからです。
そのため、齋藤先生が仰ったこの言葉には、本当にその通りだと膝を叩く思いでしたが、その言葉の内容自体は取り立てて私にとっては目新しいものではありませんでした。
ではなぜ、この部分が私に最重要な「気づき」を与えてくれたかですが、それは、その先生の言葉を聞いた時、私の中でそのことが日本人が多用する「カタカナ英語」の問題とリンクしたからです。
つまり、齋藤先生の指摘を拡大解釈すると、「コンプライアンス」という言葉を使用している時、その人がその言葉について、「comply (法などを順守する)」という動詞の名詞形である「compliance」であるということが思い浮かばなければならないということに気づいてしまったのです。
「アポイントメント」「オリエンテーション」「コミットメント」「リテラシー」
これらを英語のスペル、そしてそれが名詞であったらそのもととなる動詞の形、そしてその語源というところまで理解して使用しているかどうかを自分自身に問うべきで、それができないのであれば、その「カタカナ英語」を口にすべきではありません。
「約束」「方向(意識)づけ」「関わり」「(読書き)能力」のように自身がすでに知っている漢字を含んだ日本語を使用すべきです。
そうでなければ、「コンプライアンス」をカタカナとしてだけで記憶している人は、まさにそれは日本語で言えば「ほーれーじゅんしゅ」としてしか頭に入っていないのと同じだからです。
「カタカナ英語」がダメな理由は、「キザに聞こえる」からではありません。
法令順守という漢字を知らない人が、「ほーれーじゅんしゅ」と口にしてしまうのと同じくらい日本語として「危うい」からです。
齋藤先生は、本当に重要なことは、言いにくいことでも、むしろ強調しながでもズバリ言うべきだということを確実に実践されていました。
私も言葉というものをビジネスにしているわけですから、齋藤先生を見習って、聞いている人からの「自意識過剰」の誹りを恐れずに、本質的な発信をしていこうと思いました。
皆さん、まずは小学生には日本語に「フルコミット」ではなく、「完全に集中」させましょう!(笑)