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英語民間試験の導入について

2019年1月21日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2019年1月14日)の日経電子版に、「2020年からの英語民間試験の導入に関する制度設計の粗さ」に関する東大高大接続研究開発センター長の南風原朝和氏の以下のような意見が掲載されていました。

「今回の改革案は、制度設計としてさまざまな面でバランスの悪さが目立つ。その一端が、この参考例と英語民間試験の受験にかかるコストの関係に見られる。英語民間試験の検定料は、各種類を単純に平均すると国立大学の入学試験の検定料(1万7千円)に匹敵する額である。事前の練習受験まで考えると、経済的、時間的コストはかなり大きく、試験会場から遠隔地に住む受験者にとってはなおさらである。これだけのコストをかけて、参考例①では、やっと受験資格が得られるだけであり、参考例②では、英語以外の科目を含む試験全体のごく一部の配点を割り当てられるだけである。」

私は当ブログで東京大学のこの問題に対する紆余曲折についてはかなり詳しくフォローしてきました。

その紆余曲折の末に、東京大学は既に英語民間試験の受験を必須としないことを公表していますが、そのことを前提に南風原朝和氏は次のように解説しています。

「東京大学は既に英語民間試験の受験を必須としないことを公表しているが、仮に東京大学の現行制度のもとで、参考例②に従って加点割合を2割にしたとしたらどうなるだろうか。英語民間試験の配点は1次試験全体の約4%、そして1次と2次の合計に占める割合は約0.9%にすぎない。英語民間試験導入の目玉である「話す」試験については、いわゆる4技能均等配点だとすると、それぞれその4分の1、すなわち1次全体の約1%、1次2次合計の約0.2%だけであり、入学者選抜に及ぼす影響は、英語民間試験の受験にかかるコストに比べ、非常に小さい。」

東京大学は、あくまでも独自にこのような決断をして意図的にこのような配点バランスとしているわけですが、それでも多くの大学がその判断に追随しているので、総論としても大方この通りだとは思います。

ただ、私はこの問題は上記のような試験の制度論ということだけではなく、もっと根本的な問題があると思っています。

それは、そもそも、大学入試共通試験のような不特定多数の人間を対象とした試験で、「会話力」を測定することができるのかということと、仮にそれができたとしても、そのことに何の意味があるのかどうかということです。

ご存知の通り、私はJIPFLという団体でSEACTテストという「会話力」の測定に特化した面接試験を運営しています。

約一時間というまとまった時間を一対一の面接に使って、コミュニケーション能力を構成する9項目の能力を個別に、そして総合的に測定します。

ですから、当然にして非常に手間と時間がかかります。

2012年から運営していますが、「会話力」の測定にはこの手間と時間という二つの問題が常について回ることを痛いほど感じています。結果、どうしても大量生産ができないという結論に達しています。

ですから、TOEICをはじめとするような現在認定されている民間試験のような一方的な試験では「会話力」をまともに測定することはできません。

しかし、私は「会話力」の測定というのはそれでいいと思っています。

なぜなら、グローバル社会と言われながらも今の日本で、本当の意味で「会話力」を厳密に測定する必要性がある人はそこまで多くないからです。

ましてや、大学入試の共通試験という大人数に対して一律に、「会話力」という実戦力を問う必要性は全くないと考えるからです。

もし本当にその大学が学生の「会話力」を求めるのであれば、それは共通試験ではなく、二次試験で実際の面接でじっくりと大学の教員が独自に行うべきことだと思うのです。

「会話力」の測定というのは、このようにアナログで主観的なものであるため、それが許容される範囲で必要に応じてなされるべきであり、共通試験のようなデジタルで客観性が問われるものに組み込んではいけないものなのです。

この問題をおして実行してしまうと、ただでさえ測定可能性が低いうえに、いわゆる予備校の「試験対策」の余地を異常に高めてしまうことが容易に想像されます。

私としては、このような性質を持つ「会話力」を、そのような本来あるべき形ではなく、一方的な形の試験でなおかつその試験のほんの一部分の機能(四技能を万遍なく測定することがこれらの試験の目的のようなので)を目的として利用するようなことを制度とするなど、本当にバカげているとしか思えません。

すでに、進んでしまっているとはいえど、本来とるべきではないことはしっかりと再考する勇気を持ってほしいと思います。