言語を理解するということ
2013年12月1日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
先日、「東ロボくん東大にいく」というプロジェクトの進捗についてのニュースがありました。
記事は こちら です。
人工知能「東ロボくん」の目標は、人間が日常的に使う言葉を理解し、複雑な問題を解くこと。具体的には2016年度までに同センター試験で高得点をあげ、21年度までに東京大の入試合格を目指すことで、今回はその途中でのセンター試験の模試への挑戦です。
結果的には、総合7科目の偏差値は45。私大579校のうち403校で「合格可能性が80%以上」のA判定を獲得したようです。
東ロボ君はコンピューターですから、記憶力が試される社会科の選択問題や、計算力が試される数学については当然高いパフォーマンスが期待されます。
しかし、総合で偏差値45ということだと、やはり国語や英語、それから理科なども問題文の状況説明などの理解の点でまだまだ改良が必要だという状況だと思います。(それにしても、問題自体は日本語の文章で書かれているわけで、それを認識して回答を開始するということ自体すごいことです。)
タイトルの「言語を理解するということ」がコンピューターにとっては最難関なのだと思います。
まあ、このことが人間とコンピューターを分ける最大の分水嶺であるわけで、極端な話、ここをコンピューターがクリアすることができると、言語教育をビジネスにしている我々のような業者はお役御免になる可能性が非常に高くなるといえます(笑)。
私がいつも言っている、TOEICテストのような試験では本当の意味での「コミュニケーション力」は測定できないということの原因はここにあります。
「文脈(コンテクスト)」を理解し、また作り上げる能力を持ち得るのは現在のところ人間のみだと強く主張したいところです。
しかし、最近のグーグルの検索精度、iphoneの音声認識の学習機能などの発達などを日々感じることから、実はこの分水嶺は絶対的なものではなく、時間的な発展途上の問題に過ぎないのではないかと思えてもきます。
少なくとも、プロジェクトの目標である21年度までに、問題のほとんどが記述式で構成される東大の二次試験に東ロボくんが合格してしまったら、人類はコンピューターに対する優位性をどのように主張したらいいのでしょうか?
人間の優位性はそのうち、「お笑い」「小説」「ドラマ」などのような「文脈」そしてそれらを絶妙なタイミングに乗せる「間」のような、人間が作り出す総合芸術のような分野のみとなってしまう、そして、それさえももはや時間的な問題に過ぎないといわれるようになるのか、、、
そうならないように、私たちはお笑い芸人バリの危機感をもって精進し、人間にしかできない「芸」を磨くことでお役御免はごめんだといい続けなければなりません。