資本主義以後の世界
2014年9月17日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
私は、資本主義を超える次の「主義」という概念について考えるのが好きです。ですから、このようなトピックについて書かれたものは機会があれば読むようにしています。
しかし、当然ですが、そのような本の中に「資本主義の次の『主義』はこういうものです」と具体的にかかれたものは存在しません。ですので、基本的には読後の感想は、ちょっと「がっかり」ということが多いです。
今回読んだ「資本主義以後の世界」も当然、「資本主義の次の『主義』はこういうものです」と具体的に書かれているわけではありません。
しかし本書は、資本主義がなぜ限界に来ているのか、という理由を非常に明確に解説してくれているのと、その理由から考え、具体的ではないにしても、その次に来るものの前提条件をある程度「感じられる」位に提示してくれているという点において、非常に印象的でした。
まず、資本主義の限界は以下のように説明されます。
欧米の資本主義はフロンティア獲得による極小コストで生産をすることによって利潤を最大化し、その利潤を蓄積して再投資することを繰り返すという構造を基礎としています。
ですから、常に新しい「フロンティア」が必要となります。スペインによる新大陸発見然り、オランダやイギリスによる植民地経営然り、植民地支配が終わった後も、資本の力による発展途上国からの低廉な資源獲得然りです。
この資本主義は、人間の欲望の増幅という基本的な性質に立脚しているので、共産主義と比較して順調に成長してきました。ただし、これは常に新しい「フロンティア」の存在が前提になっていますから、地球上に新たなフロンティアがなくなってしまえば、当然にして限界が来るという運命があります。
第二次大戦後、中東諸国や中国はもちろん、東南アジアをはじめとする発展途上国が、それなりの力をつけてきて、資源に対する交渉力が向上している状況を考えれば、この限界が現実のものとなってきていることは明らかです。
この現実に直面したアメリカは、新たなフロンティアをバーチャルリアリティーの世界に求めました。「金融空間」です。しかし、やはり実質的な経済に立脚しないこの新しいフロンティアはリーマンショックという形で崩壊することになりました。
このように、現在の資本主義というシステムが根本的な問題を抱えていることは明らかです。そして、イギリスの元首相チャーチルが言ったように「資本主義は最悪のシステムだ。ただし、過去存在した全ての他のシステムを除けば」ということを現在では、多くの人々が常識的な考えとして受け入れるようになってきているように思います。
そこで、その先にある「資本主義を超えるもの」が何なのかを提示するのが本書の試みです。
著者は「資本主義を超えるもの」を提示することができる可能性のある主体は意外にも日本だと言います。その理由として、近江商人に見られる売り手、買い手そして世間の満足を満たす取引を目指す「三方よし」の精神、および近所づきあい、親戚づきあいに見られるような「贈与」の経済といったような、単なるゼロサムゲームとは異なる次元の経済観念を日本人は古くから有していたことがあげられます。
昨今では日本においても、これらの精神が欧米資本主義によってかなり毀損されてきてはいますが、いまだに日本人の精神の奥底には確かに存在していることは、東日本大震災での東北の人々の行動を目撃した世界の人々が確認したことです。
資本主義のその次に来るものが何かを明示することはできないにしても、その前提条件として日本人が古くから有している精神を提示されたことについては非常に勇気づけられる一冊だと思います。