
子どもの集中力を守る大人の努力
2025年9月4日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。
先日(2025年8月29日)のクーリエ・ジャポンのウェブ版に「子どもとスマホ」に関する非常に興味深い記事がありましたので以下要約引用します。
「9歳の娘からスマートフォンがほしいと言われたとき、キャロン・モースの返事ははっきり決まっていた。『絶対にダメ』の一択だ。米メイン州ポートランドの公立学校で精神医療の専門家として働くモースは、いかにソーシャルメディアや過剰なスクリーンタイムが生徒たちの集中力を低下させ、不安の種を生むかを目にしてきた。一方で、子供たちには自分で友達に電話したり、遊びの予定を立てたり、祖父母に連絡を取ったりできる程度には自立してほしいとも思っていた。そこで、娘が10歳になったとき、モースは彼女に固定電話を買い与えた。そのプレゼントの恩恵をモースが受けるためには、多少の基礎作りが必要だった。たとえば、近所の人たちにも計画を話し、固定電話の導入を検討してもらうよう依頼した。それからさらに2〜3ヵ月かけて、モースは周囲の説得を続けた。いまでは、サウスポートランド近辺の15〜20世帯が固定電話を設置している。学校で他の生徒が皆スマホを持っている場合、親はスマホが欲しいとねだる子供になかなか『ノー』が言えない。『自分の子供だけがスマホにもSNSにも触れられないとなると、子供を孤立させることになるのです』とハイトは言う。最初、子供たちは、電話をかけるときはまず出た相手に挨拶をし、名乗り、場合によっては話したい相手に代わってもらうよう頼むことを練習する必要があった。ここで重要なことは、この固定電話グループの親たちは単にスマホを禁止しているわけではなく、子供たちをより幸せにする可能性のある代替手段を与えている点だと、思春期の子供たちへのテクノロジーとSNSの影響を研究する心理学者のジャクリーン・ネシは指摘する。ネシは、親にはシンプルに子供たちになぜスマホが欲しいのかを訊いてみるよう勧めている。『友達とコミュニケーションを取りたいのか、特定のゲームをしたいのか? ゴールは何かを考え、そこから取り組むことが大切です』。とはいえ、いずれは彼らも子供たちがスマホを持つことになることは認めている。その頃には、子供たちが責任を持って使いこなせる準備が整っていることを親たちは願っている。その頃には年齢を重ねて精神的にも成長し、スマホ依存が子供の脳の発達にもっとも悪影響を与えると専門家が指摘する年齢も超えている。固定電話によって磨かれたコミュニケーションスキルも役に立つはずだ。」
今まで私はこのブログにおいて、この「子どもとスマホ(SNS)問題」に関して以下のような記事を書いてきました。
「スティーブジョブズは我が子をアナログで育てた」「危機的状況を詠む」「スマホ脳」「オーストラリアは子供のSNS禁止へ」
ちなみに、我が家の「子どもとスマホ」に関する取扱いについては、「オーストラリアは子供のSNS禁止へ」の記事の中で以下のように書いています。
「私(うちの家族)は、大切な子供の時間をこの悩ましい問題に奪われないように、中学2年生までは『絶対に持たせない』という形で、そして中学三年生からは『本人の判断に任せる』という形で対処することにしました。その結果、うちの三つ子のうち、長女は『中三の4月から、長男は『中三の12月(今日!)から』、そして次男は『まだ持たない』という判断を自らの意思(性格)と学業成績との兼ね合いで決めています。」
このように書くと、うちの長男や次男の自己判断に「本当か?」と疑義を持たれるかもしれませんが、二人とも寮生活をしており、長男の学校は非常に厳しいスマホ管理(年に三回の帰省時以外は寮に預ける)があり、また次男の方は学校としてスマホの管理はほとんどなかったのですが、その時点までに自ら設定したスマホを買い与えられるための学業達成ラインに単純に達しなかったという事情があります。
それから一年近くがたち、現在その次男は海外のインターナショナルスクールの寮に入るのをきっかけに必要に迫られ、親としては仕方がなくスマホを買い与えることになったのですが、そこでは長男の学校の寮ほどではないにしても、かなり厳しいスマホ管理体制があるようです。
その上で、今回このクーリエ・ジャポンの記事を読むことで、本来はこの問題の深刻さを考えれば、大人はこれほどまでに大掛かりに「子どもの集中力を守る」ための努力をしたとしても決して大げさとは言えないのではないかと感じました。
それほどまでに、子供たちは「危機的な状況」の中で成長せざるを得なくなってしまっていると。
その意味で言えば、日本社会のみならず世界がこの「子どもとスマホ(SNS)問題」を現実的には解決不能に近いと認識している中で、我が家はとてもありがたい環境を与えられていることを自覚した次第です。









