代表ブログ

孤独に生きよ

2025年9月18日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

小説嫌いの私にとっては、芥川賞の受賞者も直木賞の受賞者の発表も全くと言っていいほど興味がないどころか、この二つの賞の違いすら分からないという状況でした。

それを少なくとも両者の違い(*)を知るに至ったくらいまでこの分野に興味を持たせてくれたのが、2012年の芥川賞の授賞式での田中慎弥氏の受賞にあたっての以下の会見でした。

*芥川賞は主に雑誌に掲載される純文学の新人作品が対象で、直木賞は単行本として出版されるエンターテインメント小説の中・長編作品が対象。また、芥川賞は「新人作家の登竜門」とされ、直木賞は「中堅・ベテラン作家の読者への普及」を目的とする。(参照元

このように、会見での彼の石原慎太郎氏への皮肉があまりにも衝撃過ぎて、彼個人への興味がその時に非常に高まったのですが、それでも「純文学」というハードルを乗り越えることはできず、受賞作品を含め著作を読むまでには至りませんでした。

ところが、この度(2025年5月)に著者が作家デビューまで貫いた15年間の引きこもり実体験に基づく「孤独」を論じた一冊(2017年に発刊されたものの加筆修正版)が出されたということで、これなら私にも手が届くと思い、この「孤独に生きよ」を読むことにしました。

本書を一貫するキーワードは「奴隷になるな」です。

そして、本書における「奴隷」の定義としては、以下の文章がそれにあたるでしょう。

「自分を押し殺し、相手に求められるだけの対応に徹する。それは階段の踊り場をただぐるぐる回っているようなものです。いつまでたっても次の段階に足をかけない。足腰を使って上に登ろうとしていないわけでです。つまり、主体的な営みを放棄すること。これがまさに奴隷です。」

その意味で言えば、作家デビューまで15年間の引きこもりを続けた著者は、現在もそしてその時でさえも「奴隷」ではなかったということになりますし、逆に言えば、引きこもりのような経験をせずに当たり前のように社会にでて働いている人間でも、自ら自覚のない「奴隷」であるということは十分にあり得るということになります。

本書では、主体性を失った奴隷の例として、「仕事の奴隷」「友達の奴隷」「学校の奴隷」「恋愛の奴隷」「家庭の奴隷」「近所の奴隷」「情報の奴隷」を挙げています。

もちろん、著者は自らの15年間の引きこもり経験を「奴隷」ではなかったけれども「孤独」だったと言っています。

そして、「孤独」であるということは「苦しい」ことでもあるとも。

しかし、では孤独から逃れるために、「仕事」「友達」「学校」「恋愛」「家庭」「近所」「情報」に身を委ね、自らの主体性を放棄した先に、果たして「孤独」から本当に逃れられているのか、実はそれは奴隷になった上での「孤独」なのではないかと著者は言います。

ならば、自由(主体性を持った上)で孤独である方が同じ苦しみを味わうにしてもよほど人間としてマシではないかと。

ただ、その時に大切なのはその苦しみの中で「価値ある何か」を探すことです。

自分のやりたい道に舵をきれば必ず孤独に直面します。そこは耐えるしかない。しかし、その「価値ある何か」を求めている限り人は耐えられるはずだと。

そのような心持で孤独と向き合えば、その孤独は思考を強化する時間となり、自分自身の考えを磨くことになり、結局は「価値ある何か」につながる何かしらのチャンスが訪れたときに、それをつかむための準備となると。

著者にとっての「価値ある何か」は当然ですが小説を書くことでした。

それを15年間続けた著者のこの言葉は非常に貴重なものだと思いました。

本書における著者の訴えが、あまりに情熱的で、親切で、そして温かかく、あの2012年の芥川賞の授賞式での皮肉に満ちたインタビューからは全く想像できないもので、なんだかとても気持ちのいい裏切りにあった気分になりました。

 

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆