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もう、きみには頼まない~石坂泰三の世界~

2025年12月31日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回の「粗にして野だが卑ではない」に引き続き、経済小説の第一人者 城山三郎の「もう、きみには頼まない」を読みました。

本書の主人公の第一生命や東芝の社長、そして経団連会長を歴任し、その後経団連会長が「財界総理」と呼ばれる最初の人となった石坂泰三氏については、そもそも著者としてはほとんど興味を持っていなかったところ、石田禮助を主人公にした前著を書くにあたって彼の親友として前著に登場させるにあたり、彼の人柄に出会い、彼の人生が一冊に描くに足るものであることに気づき筆を執ったとのことです。

ちなみに、前著のタイトル「粗にして野だが卑ではない」は主人公の石田が国鉄総裁の国会における初答弁で国会議員に対して放った言葉であるのに対して、本書のタイトル「もう、きみには頼まない」は主人公の石坂が現職の大蔵大臣に向かって切った啖呵そのものであるという点で、それぞれの気骨を表す一言として共通しています。

確かに共通してはいるのですが、その上に対する「おもねらなさ」が尋常ではない、その点で言うと明らかに石田禮助を超えていると言え、著者をして非常に「分かりにくい人」だと言わしめています。

以下に、その上におもねらずに正論をぶちかますエピソードを以下に三つ挙げます。

①一つ目は、既出の石坂が大蔵大臣 水田三喜男に向かって「もう、きみには頼まない」啖呵を切ったというものですが、これは経団連ビルがまだいくつかのオフィスを間借りしていた時代に、自前のビルを建てる計画を立て、大蔵省印刷局の跡地である大手町の国有地払い下げを大蔵省に申請したが、場所が場所であるだけに、大物政治家がらみの請願もあった中で大蔵省はのらりくらりするだけで煮え切らない返事をするばかり。何度も何度も大蔵大臣の水田に石坂自ら足を運んで頭を下げても、事態は進捗しない中、最後に大蔵大臣に向かって「もう、君になんかに頼まない!」と雷を落としたというもの。

➁二つ目は、高度成長が過熱気味になった時、日銀総裁の山際正道が経営者たちを集めて設備投資の一割削減を求める講演をしたのに対して、「自由経済の下では、設備投資をどうするかは、我々経営者が考えればいいことで、政府が決める問題ではない。ましてや、日銀総裁の仕事なんかじゃない。日銀総裁は金融政策についてだけ考えればいい。むしろコンピュータ君を総裁にすればいいんだ」という正論を記者会見の場で吐いた。しかも、当時石坂の長男は日本銀行員として勤務していたのにである。

③第一生命の社長時代、本社ビルは当時の日本企業の建てたビルとしては非常に堅牢だったため、GHQに接収され、社長室はマッカーサーの執務室として使用されていたのは有名だが、マッカーサーが、このようなビルの主だった第一生命の社長に会いたいと思った。そのマッカーサーの意向が石坂に伝えられたが、その招きをはねつけ、「用があるなら、こっちへ来ればいい」と返した。このことが災いしたかどうか、間もなく石坂はGHQより公職追放の仮指定(その後解除)を受ける羽目になった。

これなどは、よく「白洲次郎」がマッカーサーから従順ならざる唯一の日本人として称されたと言われますが、「従順ならざる度合い」で言ったら石坂の方がずっと上のような気がします。(笑)

これらのエピソードから石坂泰三という人の単に短気な経営者という側面が見えてきますが、彼はあくまでも「サラリーマン」として各種企業団体のトップを張ってきたわけであって、ゼロから1をつくる創業者とは全く異なり、どこまで行っても「平凡な人間」という自負が常にあったと言います。

とは言え、「サラリーマン」の立場で「従順ならざる」姿勢を貫き続けたことは、ある意味、その「凄み」は創業経営者のそれよりもむしろ強いものを感じさせられます。

最後に、彼が最終的に「サラリーマン」の立場を超える覚悟を決めた決断をし、その大勝負に勝ったエピソードをご紹介して終わります。

石油は経済の血液であるにもかかわらず、日本では採掘ができず最も不足している資源だが、油田採掘は非常にギャンブル性が高く、当時「山師」的だとして政府も大企業も手を出すことしなかった。そこへ、当時山師中の山師と言われた山下太郎からアラビア湾での採掘への協力を求められ、当初断っていたが、様々な情報を得て「やるべき」と判断した。昭和33年にアラビア石油を設立し、石坂が代表取締役会長、山下が代表取締役社長という布陣でスタートしたが、予想通り、マスコミはもとより産業界からも批判を受けることになる。しかも、代表権を持ったため、会社の借入89億円の個人保証を求められた。

その際に石坂は、息子に次のように語っている。

「今度の事業は日本に必要なものなんだ。90億近い金がいるし、それを借りるため、個人保証しなくちゃいかん。油が出なければ、孫子の代まで借金に沈む。俺は好きでやるからいいが、俺が死んだら後は知らない。これはお前に相談するわけじゃない。言っとくだけだ。」

長男にはそれに加えて、「出なかったら、山下君と二人で首くくるよ。」といささか実感を込めて言った。

そして、昭和35年の一月に、アラビア湾の1号油田が油層を掘り当て、四月には2号油田からも出油、しかも1号以上に豊かな油量だったという。これは、油井は100本に一本あたれば上々という確率の低い中で、海中での難事業のため、3本しか掘り進められなかった中での快挙でしたが、日本経済の将来を考え何としても石油の安定供給を実現する必要があるという信念に基づいた決断だったと考えられます。

本書を読み始めの段階では石坂泰三という人は非常に「分かりやすい人」であると感じられていたのですが、読み進めていくと著者が「分かりにくい人」と評した意味を少しずつ理解できるようになっていきました。

また一人、いくら頑張っても残念ながら自分にはそうなれそうもない人物を知ることができました。

 

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