おすすめ書籍紹介

英語辞書大論争!#301

2023年4月23日 CATEGORY - おすすめ書籍紹介

【書籍名】 英語辞書大論争!

【著者】  副島隆彦

【出版社】 JICC出版局

【価格】  ¥981+税

【購入】    こちら

#300「欠陥英和辞典の研究」の最後で、著者の「糾弾」に対する「研究社」の反応について明らかにすると予告しましたが、前著の出版に対して、研究社は「名誉毀損、悪質な営業妨害」にあたるとして、出版差し止めを求めて東京地裁に提訴(後に損害賠償請求に切り換え)するとともに、6名の英米人の英語学者・辞書学者を招いて討論会・座談会を開催し、そこでの意見をまとめた「『欠陥英和辞典の研究』の分析-編集部からの反論」という非売品のパンフレットを作成し、辞書出版業界や高校教師に配布しました。

本書は、研究社の反応と当該パンフレットの内容に対する著者の再反応を収めたものです。

それでは、前回ご紹介した三つの事例に対する研究社の「パンフレット」に収められた実際の反論とそれに対する著者の再反応についてみてみます。

① × I have never gone to Australia.→ 〇 I have never been to Australia.(私はオーストラリアへ行ったことがない)

◆ 著者の前著における指摘

「この文は『ライトハウス』の注意書きでは『アメリカ口語表現』として示されているが、それはない。極めてインフォーマルな会話か、よほど低学歴の人々、あるいは日本人たちの間でしか通用しないものである。しかも、中学校依頼日本の英語教師はこの二つの表現は同じ意味では使えないということを理解させようと努力してきた。それだけの努力に対してさえ、この模範例文は混乱を助長するだけである。」

◆ 研究社側の反応

Bolinger氏:私にはこの例文におかしいところは何も見受けられない。

Althaus氏:英文として間違いではない。

Ilson氏:この場合についてはgoneよりはbeenのほうがいい。

Boyd氏:私個人としては肯定文の場合にはhave gone/have beenの二つを区別するが、疑問文、否定文の場合には使い方の区別があいまいになっている人々がいる。したがってこの例文にはneverが入っている否定の文だから「経験」の意味で使うイギリス人はいる。

◆ 著者の再反応

「アメリカの学生たちがこの表現を極めて砕けた使い方で話しているという事実は分かった。しかし、だったらそれを一番目に持ってくるのではなく、後ろのほうで解説付きで示す類のものでなければならない。」

② × The police was unable to get anything out of the woman.→ 〇 The police were unable to get anything out of the woman.(警察はその女から何も聞き出せなかった)

◆ 著者の前著における指摘

「policeは文法学ではpeopleやfamilyなどと同類で『衆多名詞』と呼ばれ、次の動詞は複数形をとる。上の文は単なる誤植のケアレスミスであろうが、少なくとも辞書としては弁解の余地がない。信頼のおける知識を提供しなければならない出版物にとって校正作業は最重要な仕事であるべきだ。」

◆ 研究社側の反応

編集部:wasをwereに訂正します。

◆ 著者の再反応

「そうだ、その調子だ、がんばれ研究社。」

③ × a running nose→ 〇 a runny nose(鼻水の出ている鼻)

◆ 著者の前著における指摘

「a running noseでは『だらだらといつまでも垂れ流しの状態で出ている鼻』というような気持の悪い英語は汚らしくて使いようがない。正しくはrunnyだが、『ライトハウス』でrunnyを調べると、これが載っていない。この辞書がいよいよ使い物にならないことが良くわかる。『ジーニアス』のほうにはrunnyで『1.流れやすい、溶けた2.鼻水や涙の出る』とちゃんと出ている。」

◆ 研究社側の反応

Ilson・Althaus氏:この例文でOK

Boyd氏:(「文語・格式語」としてrunningも存在しているので)両方とも正しい。runnyも辞書に載せるべきだということでは副島氏に同意する。

編集部:runnyは次の版で載せます。ここではあくまでもrunnyの項目の例文として持ち出しているに過ぎない。

◆ 著者の再反応

「『文語・格式語』と表示してその語の用法がなんだか上品な威厳のある文なのかなと思いきや、よくよく考えてみると非英語国民である我々からしてみると、それは実質的には『死語・廃語』のことなのだ。英語国民にとっては『文語・格式語』で古くて懐かしい響きのある言葉であっても、外国人である我々にとっては十分に『死語・廃語』と認定すべき場合がたくさんある。だから、日本人のためにはその単語がどの範囲でどのような状況でどのような人々によって使われるのかの説明をもっとしっかりとやるということが辞書の存立にかかわる最も重要な問題なのである。」

最後に、実際の裁判の結果は以下の通りです。

「1996年2月28日、東京高裁は「権威への挑戦として許される過激さ、誇張の域を越え、公正な論評としての域を逸脱するもの」と述べ、名誉毀損に当たるとして、出版元である宝島社(旧JICC社)に400万円の支払いを命じ、宝島社らは高裁判決については上告せず、判決は確定した。」

著者の本書中での表現については、前回私が「辛辣な表現が散見されることに少々驚きました」と述べたとおり、かなり過激な物言いがあったことは否定できませんので、私としては同じ内容で批判するにしてももう少し上品に行っていたら、結果は違っていた可能性は十分にあると思います。

とはいえ、この判決はあくまでも著者の「論評の仕方」について問題があったとしたものであり、論評内容は十分に評価に値するものであることは確かです。

また、②の事例のように、研究社も正直に「訂正します」としていることからも、著者の指摘によってそれ以後の英和辞書編纂業界に良い意味でのプレッシャーがもたらされたということであり、それによる「功」は確かにあったはずだと私は思います。

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