日本人と英語

AI翻訳時代の英語学習の目的とは

2018年9月21日 CATEGORY - 日本人と英語

前回まで四回にわたって「『なんで英語やるの?』の戦後史」から中学英語必修化に関するテーマをいただいて書いてきましたが、最終回の今回は、そのテーマとは別のテーマについて考えてみたいと思います。

以前の記事にて私は、AI翻訳が高度に進展し、高度に訓練された人間と同じかもしくはそれ以上に素晴らしい翻訳能力を持つAIが近い将来出現することで、「コミュニケーション」という意味での「英語学習」がほぼ意味をなさなくなるという考えを支持し、英語教育業界が極端に縮小することにならざるを得ないと予想していると書きました。

ただし、それはあくまでも「コミュニケーション」という意味での「英語学習」であり、「英語学習」には自分とは異なる言語で話す人々との「相互理解」という目的もあるはずだとも指摘しました。

そして、「相互理解」を目的とした「英語学習」は、「コミュニケーション」という意味での「英語学習」よりもその需要の量は圧倒的に少なくなるけれども、その小さな需要の深さはずっと深くなると考えられ、「生活と英語が融合した環境」の提供を行っているランゲッジ・ヴィレッジのような仕組が、その小さな需要を掲げる人々からはむしろより高く評価されるはずだと予想し、この状況を楽観視していると述べました。

ただ、これはあくまでも私個人の直感であって、この楽観の根拠が弱いのではないかとの指摘があっても当然と思います。

そして、私自身、それを感覚的にではなく、第三者的な根拠とともに理解したいという気持ちは当然にしてありました。

そんな中で、その「第三者的な根拠」になりえる資料を、前回までの記事のテーマを提供してくれていた「『なんで英語やるの?』の戦後史」の中で発見しました。

それは、1958年の指導要領告示前の試案に書かれていた中学の教育課程における「英語科が学校教育に貢献できる意義」とされるものですので、該当部分を以下に引用します。

(1)世界の学問のうち莫大な量が英語で書かれていることを考えれば、英語は個人の知的発達に資するということが言えるであろう。さらに、英語を用いる能力が英語国民の学者や識者と接触する機会を得させる。

(2)文化は次第に国民的規模から世界的規模に移りつつある以上、文化遺産の価値ある様相を生徒に伝達するのに、英語の果たす役割は大きい。

(3)重要な倫理的原理と慣習とが、言語と文学との中に含まれているから、英語は品性の発達に資することができる。

(4)英語国民の家庭生活と社会生活のうちで、価値ある要素の理解と、また重要な部分が英語国民の中で発達した全世界の国民の民主的遺産を理解させることによって、英語は社会的能力の発達に大いなる寄与をすることができる。

(5)多くの職業、特に商業は、英語を習得しないでは不可能であり、英語が重要な程度にまで世界の商業後となったので、英語は職業的能力に寄与することができる。

この五つの意義を一つずつ解釈すると以下のようになると言っています。

(1)知的・学術的側面、(2)文化意識、(3)道徳的態度、(4)民主的価値観、(5)商取引等の実用性

このように見てみると、これらは冒頭に私が言及した英語学習の二つの意味合いに分類されるように思います。

まず、「コミュニケーション」としての意味合いは、(1)知的・学術的側面と(5)商取引等の実用性、(試案の中では「機能上の目標」と規定)そして「相互理解」という目的は、(2)文化意識、(3)道徳的態度、(4)民主的価値観(試案の中では「教養上の目標」と規定)です。

ここから分かるのは、「相互理解」という目的を達成するということは、英語という言葉を使って生活している人たちの「心の中」を理解することだということです。

しかし、1958年の学習指導要領の告示を境に、学習指導要領においては、「機能上の目標」と「教養上の目標」という表現は消えてしまっており、非常に残念に思います。

なぜなら、まさにこの部分が、AIの発達によって、コミュニケーションをとるためだけの目的では「英語学習」が行われなくなる近未来において、非常に限定された需要の中での「英語学習」の目的となるものだと思うからです。

私たちランゲッジ・ヴィレッジは、これからより明確に(2)文化意識、(3)道徳的態度、(4)民主的価値観を鍛える意識をもって取り組んでいきたいと思います。

かつての文部省のお役人さんの本質を見抜く目と文章作成能力に脱帽です。