22世紀の民主主義
2022年8月10日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
成田悠輔氏といえば、最近飛ぶ鳥を落とす勢いで様々なメディアに取り上げられている丸と四角のヘンテコメガネをかけた米イエール大学の准教授その人で、大抵の人はその顔を思い出すことができるでしょう。
その成田氏の著書「22世紀の民主主義」を読みました。
この本で彼は、この閉塞した少子高齢化社会日本で若者が自らの政治的プレゼンスを高めるために選挙での投票率を上げるべく努力することは、「やっても何も変わらないことが確定している意味のないことである」と、まさに元も子もない絶望的な発言をしています。
ただ、その点について単に「冷笑」しているわけではなく、人口構成等の「データ(エビデンス)」に基づいてその確定事実を述べているにすぎません。
その上で、「データ(エビデンス)」に基づき、21世紀に入ってから日本だけでなく世界の「民主主義国家」において一様に「民主主義の劣化」が目立っているといいます。
その「劣化」とは何を意味するのか。
それは、20世紀までは専制国家よりもあきらかに民主主義国家の方が経済成長が著しく、また公衆衛生など社会の安定性についても優れているという常識があったにもかかわらず、21世紀に入ってからの20年でそのどちらも逆転してしまっているという事実です。
そのエビデンスとして二つのグラフを引用します。
①民主主義指数と経済成長の相関関係
②民主主義指数とコロナ死亡率の相関関係
では、なぜ20世紀までは民主主義は専制主義に比べて相対的に優れていたにもかかわらず、21世紀に入ってそれが逆転してしまうようになったのでしょうか。
著者によれば、2000年以降、インターネットの発達はSNSという発明を促し、情報の発信と受信を圧倒的に効率的に行える手段を手に入れることになった結果、政治がその人々の声を意識するあまり早く強く反応するようになり、逆に人々を扇動し分断するような(やるべきことをやらずにただ大衆が短期的にうれしいと思うことしかしない)傾向を作り出してしまったということです。
そもそも政治や経済という分野は、本来何が正解なのかを説明するのが困難なもので、しかも政策の実行と効果が出るまでの時間が長くなるため、平均的な人間ではなく、その問題に対処するための専門知識を持った人間の熟慮を必要とすべきものです。
しかし、上記のような傾向によって、そのような熟慮の結果の丁寧な説明よりも、補助金などその場に札束を並べる様な説明しやすい政策に政治家が流れるようになってしまったというわけです。
これが「劣化」の正体で、ここ20年で民主主義国家が専制主義国家に逆転されてしまった理由です。
このような分析の下、著者はそのような絶望的な民主主義という仕組みを何とかして修正しようとするパターン(闘争)、もうめんどくさいからそこから距離をとろうとするパターン(逃走)、そしてゼロから新しい民主主義の仕組みを再発明しようとするパターン(構想)を提示しています。
そのすべてが、単なる思い付きではなく「データ(エビデンス)」に基づくものであるというのが非常に頼もしく感じられます。
とはいえ、著者自身はあくまでもその実行主体になる気はさらさらないようで、あくまでも「案」の提示を机上で展開することがご自身の仕事だと割り切っています。
フランス革命に大きな影響を与えた「社会契約論」を書いたルソーも、自分は実践者になろうとはこれっぽっちも思っていなかったという「言い訳」をされているところも、かえって小気味がいい感じがします。