なぜ日本人は質問をしないのか
2024年1月23日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「英語脳スイッチ!#307」からテーマをいただいて書いていますが、第二回目のテーマは、「質問をしない日本人」です。
「なぜ(英語話者は質問を多くするのに対して)日本人は質問をしないのか」
その理由として著者は、英語が「話し手に説明責任があると考える言語」であるのに対し、日本語が「聞き手に理解の責任があると考える言語」だからということを挙げています。
以下、該当箇所を引用します。
「英語を含むヨーロッパ言語では、話がうまく伝わらないとすると、それは話し手のせいだと考えるため、因果関係などの論理的な説明が重要になります。これは演説など不特定多数の聞き手に言葉を届ける習慣があることからも分かります。一方、日本語では、上司の指示やチームで決めたことがうまく実行されないと、『理解しないほうが悪い』というように聞き手のせいだとされます。これは日本の学校で授業中に教師が『質問はないですか?』と聞いても、質問する生徒はごく少数しかいないということにも表れています。また、『ギャグを全部説明したら寒いでしょ!』と言うように、話し手もあえて必要な情報だけを与えて、それ以外は余白として残し、聞き手の想像力で埋めてもらうようにする姿勢にも表れます。」
本書ではこのことが次のように「千と千尋の神隠し」の日本語のセリフとその英語訳の違いによって明らかにされています。
◆ 日本語:
(千尋)ハク、聞いて、私、小さい時、川に落ちたことがあるの。その川はもうマンションになって、埋められちゃったんだって。でも今思い出した。その川の名は、琥珀川。あなたの本当の名は、琥珀川。
(ハク)千尋、ありがとう。私の本当の名はコハクヌシだ。
(千尋)すごい名前。神様みたい。
(ハク)私も思い出した。千尋が私の中に落ちたときのことを。靴を拾おうとしたんだよ。
◆ 英語:
(Chihiro)Haku, listen.I think it may help you. Once,when I was little, I dropped my shoe into a river. And when I tried to get it back, I fell in. I thought I’d drown,but the water carried me to shore. It finally came back to me. The river’s name was the Kohaku River. I think that was you, and real name is Kohaku River!
(Haku)You did it, Chihiro, I remember. I was the spirit of the Kohaku River.
(Chihiro)They filled in that river. It’s all apartments now.
(Haku)That must be why I cannot find my way home, Chihiro. I remember you falling into my river and I remember your little pink shoe.
日本語では、千尋の脳裏に浮かぶ記憶がそのまま言葉にされています。それぞれの記憶の断片がどのような因果のつながりがあるのかについては全く整理されておらず、全て観客の理解に委ねてしまっています。
一方英語訳ですが、これをそのまま英語に直したとしたら、英語としてはほとんど何も理解されない文章になってしまいます。そのことを翻訳者は理解をしているため、赤字になっている文章を加えたり、逆に唐突すぎる青字の日本語の部分は削除(そして、しかるべきタイミングでそれを復活させる)することで、因果のつながりを明確にさせているのです。
なるほど!これでなぜ日本人が質問しないのかがはっきりと分かった気がします。
つまりは、質問をする英語圏の生徒はこの論理のつながりの不足の解消を教師に求めるのに対して、質問をしない日本の生徒はこの論理のつながりの不足の解消を自分の頭の中に求めているのだと。
そう考えると、質問をしない日本人の頭の中では、実はかなりすごいことが行われているということなのかもしれません。