日本人と英語

なぜ仮定法は「丁寧」さを表すのか

2021年7月7日 CATEGORY - 日本人と英語

英語関連書籍ではありませんが、以前に代表ブログでご紹介した「世界は贈与でできている」という本にこの「日本人と英語ブログ」にふさわしいトピックがありましたのでご紹介します。

それは、言語における「丁寧さ」の本質についてです。

丁寧さを表現するために仮定法過去を使うということについては多くの人の知るところだと思います。

例えば、「Would you please pass the salt for me( if you did not mind)?」のように。

しかし、よく考えてみると、これのお願いをすることだけが目的なら、

「Pass me the salt.」

で済むわけですから、丁寧な言い方をすることは論理的に考えると言葉を「無駄遣い」しているということになりますよね。

本書には、この言葉の「無駄遣い」こそが「丁寧さ」の本質であるということが以下のように説明されています。

「贈与にはある種の『過剰さ』『冗長さ』が含まれています。なぜかと言うと、ある行為から合理性を差し引いた時そこに残るものに対して、僕らは『これは私宛の贈与なのではないか』と感じるからです。例えば、他者からの『敬意』や『礼節』も、そのように僕らに伝わります。帽子をかぶっている男性は誰かとあった時には脱帽するのが『マナー』です。それが何の合理性を持たない(動作の無駄遣い)からこそ、こちらへ向けた経緯の表れだと私たちは気づくのです。もっとはっきりした例は会話表現です。例えば、誰かに『座る』ように促す際、『座れ』『座りなさい』『お掛けください』『もしよろしかったらおかけになってはいかがですか?』と文字数が増えていき、冗長度が増していけばいくほど、丁寧な言葉遣いになります。これは英語でも同様です。仮定法的なニュアンスが加わることで冗長性(単語数)が増すのです。すなわち、冗長とは『無駄』であり、無駄であればあるほどコストがかかっているということであり、それによってより多くの『敬意』というメタメッセージが込められるのです。(場合によってはそれは『敬意』ではなく『皮肉』の場合も)つまり、贈与(敬意)は合理的であってはならないのです。」

なるほど、言語における「丁寧さ」の本質は「無駄」であると、まさに哲学者の視点から言語の本質を知ることができました。