日本人と英語

英語が世界一シンプルな言語になった理由

2021年6月23日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英語史で解きほぐす英語の誤解」からテーマをいただいて書いていますが、第三回目の今回が最終回です。

そのテーマは「英語の変化」です。

私が主宰する「文法講座」で、まず初めに強く受講生に訴えることが、「英語のシンプルさ」についてです。

本書では著者が、ある意味でのシンプルさを認めつつも、やはり学者であるためそれを「絶対的」な基準として断言することは避けられています。

しかし、私は少なくともこれから「英文法」に集中的に取り組もうとしている方に対しては、その学習効果を最大限に高める意味でも、英語は「世界一シンプル」な言語だと「これでもか」というくらいに誇張します。

そして、私が当該講座の中で英語が「世界一シンプル」な言語であると主張する根拠として挙げているものが「語尾の変化(活用)がないこと」と「語順固定(文型)の存在」の二つです。

しかしながら、本書ではこの二つをはじめとする現代英語の特徴が、実はこの言語にもともと備わっていたものではなく、歴史の中のある期間に起こった「出来事」によって生じたものであることが紹介されています。

以下その部分について引用します。

「その『出来事』とは1066年に始まったフランスノルマンディー公であるウィリアムが英国王をつとめるといういわゆるノルマンコンクェストだ。これ以前の古英語期には古英語の文書が多く作成されていた。英語はれっきとした一国の標準語として権威ある社会的機能を果たしていたが、これを境に英国内で支配者たる王侯貴族はフランス語を使用し、9割以上の庶民が英語を使用するという言語の分断が生じ、英語が卑しい言語として地下にもぐることになった。英語で物が書かれる機会は減少し、公的な文書や文学はフランス語で書かれることとなった。英語は庶民の口から消えることはなかったが、書き言葉としては一時ほぼ消えた。しかし、このことが英語の言語変化が進行するのに絶好の条件を与えた。言語の標準は書き言葉であり、そこに社会的な権威が付随している限り、言語はそう簡単には変わらないものだ。なぜなら、書き言葉は言語を固定化される方向に働き、変化に対する抑止力となるからだ。しかし、英語は庶民の言語として自然状態におかれ、チェック機能不在のなか、自然の赴くままに変化を遂げることが許された。どんな方向にどれだけ変化しても誰からも文句を言われない、いやそもそも誰も関心を寄せることのない土着の弱小言語へと転落したのだから、変わろうが変わるまいがお構いなしとなったのである。」

以上が、この大変化が起こった理由です。

ただこれだけですと、「語尾の屈折(活用)がないこと」と「語順固定(文型)の存在」という「シンプル」な方向に変化した理由までは分かりません。

本書には別途、「語尾の屈折(活用)がないこと」に関する以下のような言及がありましたので併せて引用します。

「なぜ語尾の屈折が摩耗したのか。それはゲルマン語派に特有の音声的な性質にあると思われる。その特徴とは、『語のアクセントは原則として第一音節にある』というものだ。比較としてイタリック語派の諸言語を見るとアクセントはむしろ語の末尾の方にあるのがふつうである。現代英語でもそうだが、強いところは大きくゆっくりと発音し弱いところは小さく素早く発音する。となれば、小さく速い発音では語尾音の区別は徐々に曖昧になり、最終的には消えてしまうということも起こってくるだろう。古英語後期の屈折語尾の摩耗もこの運命的な漂流ゆえだったと考えられる。(それと同時に以前のブログでの説明も参照)」

「語順固定(文型)の存在」に関しては、本書では取り立てて詳細な説明はありませんでしたが、このようにして語尾の屈折(活用)が消滅すると、その変化、特に格の変化を表現することができなくなってしまうことに対応するため、「語順(文型)」の固定というものが発生するのは必然だという説明でご納得いただけると思います。

以上が、英語がSV,SVO,SVCの主に三つの骨格のみで世の中のすべてを言語的に規定できるようになり、少なくとも私が講座の中で英語を「世界一シンプルな言語」として紹介することができるという意味でとてもありがたい特徴を有することになった経緯です。

このような大きな歴史の偶然によって、現在多くの受講生の英語学習に対する心理的負担の解消を可能にしているのだと知って、深い感慨を禁ずることができませんでした。

 

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