新しい言葉が生み出されるプロセス
2024年5月10日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにて「英語の種あかし」という書籍をご紹介して、本書が「言葉とは常に新しいものが生み出されることからも生き物であり、その新しい言葉が生み出される過程をヴィヴィッドに切り出してみよう」という試みを一冊にしたものだと書きました。
少し前に「日本は外国人嫌悪の国?」という記事の中で、
「xenophobiaの形容詞に当たるxenophobic(ゼノフォビック)という単語は1997年、オーストラリアの政治に登場した。極右政党ワンネーション党の共同創設者ポーリン・ハンソン氏は当時のテレビ番組で『あなたはゼノフォビックか?』と質問されて意味が分からず、一瞬押し黙ってから『説明して下さい』と答えていた。」
という一節を紹介して、独自に(その言葉を)作り出して使った人もそれを投げかけられた人も明確にその意味を把握していたわけではないという問題提起をしていたところでしたので、本書よりそのものずばりのテーマをいただいて書いていきたいと思います。
第一回目の今回は、「tsunami」という単語が新しい言葉として生みだされるに至るプロセスを見てみます。
以下、該当部分を引用します。
「今年(2005年)のthe word of the yearの一つはtsunamiということになるのかもしれない。2004年末インドネシアのスマトラ沖で起きた地震から数時間のうちにインド洋沿岸の各地を襲い、未曽有の大災害をもたらした津波。欧米の英語メディアは当初これをtidal waveと呼んでいたが、その後まもなく、アジアのメディアに倣って、tsunamiに変えた。初めのうちはtsunamiのあとにtidal waveと付け加えて説明しているメディアが多かったが、そのうちにtsunamiだけになった。tidal waveというのはtidal (潮)からも分かる通り、本来は『高潮』のことである。英語でも本来はこの意味で使われるが、地震による高波の時にも、このtidal waveを流用するのが普通だった。日本語に起源をもつtsunamiという言葉が使われることもあったが、主流はあくまでもtidal waveだった。tsunamiという言葉を英語世界に伝えたのはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)だと言われている。このtsunamiという言葉は今回の大災害がもたらした衝撃によって、完全に英語として認められたと言っていいだろう。それくらい今回の大津波による被害は甚大だったのである。もはや、説明しなければその意味が分からない人はいなくなったと言っていい。」
なるほど、と思いつつ、手元にある2003年発行の英英辞書で「tsunami」を調べてみました。
たしかに、2004年末の地震が起きる前に発行されたこの辞書では、その意味説明とともに「Sometimes incorrectly called a tidal wave(時折、tidal waveと誤用される)」という指摘が入っていました。
そこで次に、2011年発行の英英辞書で同じく「tsunami」を調べてみました。
著者の「もはや、説明しなければその意味が分からない人はいなくなったと言っていい。」という指摘に反応するかのように、「Sometimes incorrectly called a tidal wave(時折、tidal waveと誤用される)」という指摘は存在しなくなっています。
続いて、もう少し本書より引用します。
「今回の出来事のあまりにも大きな衝撃のために、tsunamiという言葉はもはや、比喩的な意味では使いづらくなったとアメリカのコラムニストであるウィリアム・サファイアは指摘している。例えば、『旋風』や『嵐』などの言葉よりももう少し強い意味を出したいときに『tsunami』という言葉を使うことができたのである。少なくともこれまでは。しかし、あまりにも衝撃的な今度の出来事のために、もはやこうした比喩的な使い方はできず、tsunamiという語を使うときには今や、ホロコーストという言葉と同じように慎重な配慮が必要になったとサファイアは言うのである。言葉は生き物だとつくづく考えさせられる指摘である。」
2004年末のインドネシアの津波はおそらく初めて人類が津波がいかなるものかを映像で確認できたものであり、だからこそ本書の中の指摘にあるように今回の大災害がもたらした衝撃によって、「完全に英語として認められた」、もっと言えば「tsunamiという言葉が本当の意味で新たに生み出された」のだと思います。
しかし、ウィリアム・サファイアの指摘はそれだけにとどまらず、もっと深いその先にまで及んでいたということを私たちは知ることになります。
この津波の最大高さは34mと巨大でしたが、2004年というまだスマートフォンの普及前で、映像として私たちの目に触れたものとしては、かろうじてタイの観光地プーケットの3~7mのものがほとんどだったと思います。
それに対して、それから7年後スマホの普及が十分に進んだ2011年に起きた東日本大震災の津波の最大高さは、インドネシアを超える40.5mで、しかも平均でも8mを超えるものがいたるところで非常に鮮明な映像が世界に流れ、その衝撃は比べ物にならないほどに大きいものでした。
本書の出版は2006年ですので、もちろんこの津波に関する言及はありません。
しかし、私が本書の視点で当時を振り返ってみると、津波直後からサザンオールスターズのヒット曲である「TSUNAMI」のメディアによる放送が自粛されたという事実があったことを思い出し、またそれに関してはいまだに(この記事が書かれたのが2019年)様々な葛藤があるということが分かりました。
著者の言う通り、「言葉は生き物だ」とつくづく思い知らされます。