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日本は「外国人嫌悪」の国?

2024年5月5日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日、ランゲッジ・ヴィレッジのサイトのログ解析をしていたところ、アクセス回数が普段あまり上位に来ないページの一つである「ゼノフォビックについて」という3年ほど前の記事が突然かなりのアクセスを獲得していたことが分かりました。

その記事は、「エンゼルス時代の大谷翔平選手に対して米スポーツ局ESPNの著名アナリストのスティーブン・A・スミスが、大谷選手が英語の通訳を介してメディアと話すことを好むことは、『ゲームに悪い影響を与える』と発言したことを、他のジャーナリストたちが、彼の発言がxenophobic(外国人嫌悪)であり、不適切だと指摘したことで、スミス氏が謝罪した。」というニュース記事を取り上げて、次のような感想を書いたものです。

「xenophobicとは、語源はギリシア語の『xenos(見知らぬ人)』という言葉に『phobia(恐怖症)』という言葉を加えさらに『ic』という形容詞化するための接尾辞を加えたものです。このことを前提に考えると、私はこの記事の原文にあったxenophobicにこの日本語記事にあるように『外国人嫌悪』という言葉を当てることに大きな違和感を感じます。今回のスミス氏の大谷批判に対して再批判するために他のジャーナリストが使用したxenophobicという言葉の意味と、日本人力士よりも理路整然とした素晴らしい日本語を話すモンゴル人力士をいつまでも外国人力士としてしか扱わない日本人の『外国人嫌い』という言葉の意味とを一対として認識してしまっては、スミス氏が少し不憫すぎるように思えます。これは文化的隔たりがある言語間での翻訳は注意が必要だという典型的事例だと思います。

すぐに、この記事にアクセスが集まった原因はすぐに分かりました。

それは、2024年5月1日に大統領選挙に向けての資金集めのためワシントンで開かれたアジア・太平洋系のアメリカ市民(移民系)向けの集会での次のような発言がニュースに取り上げられたからだと考えられます。

“Think about it. Why is China stalling so badly economically? Why is Japan having trouble. Why is Russia? Why is India? Because they’re xenophobic. They don’t want immigrants.”

(考えてもみたまえ。なぜ中国経済は失速しているか?なぜ日本はトラブルを抱えているか?ロシアは?インドは?『それは彼らがxenophobic(外国人嫌悪)の国』だからだ。彼らは移民を望んでいない。)

この発言の趣旨は、アメリカの発展は移民を積極的に受け入れたためだという、移民系有権者へのリップサービス的な意味合いの強いものではないかと記事では伝えています。

しかし私個人としては、これだけ少子高齢化による人口減少が深刻化しているのに、「技能実習生制度」という奴隷制度のような仕組みを長い間言い訳として運用し続け、ようやく2018年になってその「改善に着手」し始めたばかり、しかもそれはあくまでの小手先の労働力確保のためだけであり、「移民受け入れ」とは全く異なる趣旨のものであることを考えるとバイデン大統領の指摘はあながち外れてはいないのではないかと思ってしまいました。

ところが、今回のバイデン大統領の発言の件では、ホワイトハウスもかなりまずい発言だった(日本とインドというアメリカの重要な戦略的パートナーを「外国人嫌い」という言葉で批判してしまった)と認識しているようで、その火消しに躍起になっているとのことがBBCの記事にも書かれています。

また、前出の日本語の記事では以下のような分析もされていました。

「このニュースを取り上げた日本メディアでは『排外主義』と翻訳しているところが目についたが、この訳語はやや生ぬるい。現代世界でxenophobiaという語は、外国人に対する恐怖や警戒を意味するが、単なる恐怖や警戒ではなく憎悪や軽蔑の感情を強く含んだものとして用いられる。そのためこの語は一般的に、移民排斥を叫ぶ極右政党や、異教徒を敵視するイスラーム過激派など、ヘイト感情を隠しもせず他者を排除しようとする者の形容詞として用いられる。だからうかつに用いれば、相手に向かって『お前は差別主義者だ』と言っているのと同じくらい強い非難の意味になる。」

この文章を読んでみると、前出の私の感想の中のこの言葉の理解(ギリシア語の『xenos(見知らぬ人)』という言葉に『phobia(恐怖症)』という言葉を加えさらに『ic』という形容詞化するための接尾辞を加えたものという語源からの純粋な意味)は、実際の使用上の意味合いを外したものだったのかもしれないと思いました。(しかも私は、上記のようにxenophobicという言葉をそこまで悪意を含んだ言葉として認識をしていませんでしたから。)

そのため、もう少し詳しくxenophobicについて調べる必要があると思い、ググっていたところ、このようなCNNのページを見つけました。

「xenophobiaの形容詞に当たるxenophobic(ゼノフォビック)という単語は1997年、オーストラリアの政治に登場した。極右政党ワンネーション党の共同創設者ポーリン・ハンソン氏は当時のテレビ番組で『あなたはゼノフォビックですか?』と質問されて意味が分からず、一瞬押し黙ってから『説明して下さい』と答えていた。」

つまりそれは、独自に作り出して使った人もそれを投げかけられた人も明確にその意味を把握していたわけでもない言葉で、その出現からまだ20年ちょっとの言葉であり、その中で「お前は差別主義者だ」というような特定の文脈で使われるという背景を持つ言葉だと考えなければならなかったようです。

お恥ずかしながら、私自身、自分のブログの中で書いた「これは文化的隔たりがある言語間での翻訳は注意が必要だという典型的事例だと思います。」という言葉を再度かみしめる必要がありそうです。