日本人と英語

アメリカ人より日本人の方が時間にルーズ

2019年2月15日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「出世する人の英語」から、テーマをいただいて書いていますが、第二回のテーマは「本当に日本人は時間に厳しいのか」という問いです。

アメリカ人に限らず、日本人以外の外国人は「時間にルーズ」だということを、多くの日本人はほぼ定説のように信じています。

しかし、本書では実はそれは全く逆で、アメリカ人の方が日本人を「時間にルーズ」だと認識せざるを得ないという事実を以下のように突きつけています。

「アメリカ人は会議の開始時間よりも終了時間を守ることに厳しい。一般に日本では会議の開始時間に理由なく遅刻することは許されませんが、会議が長引くのは、さほど珍しいことではないでしょう。一方、アメリカ人は事前に決めていた時間の範囲内で必ず会議を終了します。彼らにとって時間管理ができるということはすなわち『決められた時間内に成果や結果を出すこと』です。日本人のようにだらだらと会議を続けるようなやり方は他人の時間を大切にしていないということになり『時間管理ができていない』とみなされてもおかしくありません。」

これを読んで、ハッとしました。

というのも、そもそも私たち日本人は会議の終了時間を決めることすらしていないことがあります。

会議の開始時間に数秒でも遅れることには目くじらを立てるくせに、もともとその会議がいつまでかを定めないことに対して問題視しないというのは、どう考えても、時間の感覚として筋が通りません。

おそらく、会議に少しだけ遅れてしまったアメリカ人は、その会議により一層の「貢献」をしようとするはずです。そして、全体として自分の価値の帳尻を少なくとも合わせようとするはずです。そして、それは結果的に合うことが多いでしょう。

しかし、時間をあらかじめ決めずにダラダラ続く会議で失われた時間は永久に取り返しがつきません。

これは、「ビジネスパーソンがお互いに時間を確保してあっている以上、その時間以内で何かしらの価値を作り出すのは当たり前だ」という考えがあるかないかの違いだと思います。

これが、日本の「生産性」の低さの原因の一つであることは間違いありません。

「上司が帰らないから部下はすることがなくても帰らない。」

このことで、何が生み出されるのかを考えることすらしない会社がいまだに多く存在する日本社会は、少なくともこの点については、グローバル化がアメリカ人的な視点での「統一化」であったとしても、躊躇なく統一化されるべきであると明確に思います。

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