日本語における熟語作りの限界
2020年3月1日 CATEGORY - 日本人と英語
前回より書籍紹介ブログにてご紹介した「英語の発想・日本語の発想」からテーマをいただいて議論をしていますが、第二回目のテーマは「英語と日本語における新しい概念語作りの違い」についてです。
英語と日本語において、本書の「変動相場制」の例を使ってこの違いについて説明している部分を見ていきます。
「変動相場制」とは、戦後ずっと日本円は固定レート1ドル=360円、1ポンド=1080円となっていたのが1965年、世界的に経済力の実勢に合わせてレートを日々変化させる変動レートに切り替えられることになった仕組みです。
まず、英語におけるこの事象に関する「言葉作り」についての記述を引用します。
「英語では新語を作ることはしなかった。既存の動詞floatを比喩的に用いてこのことを表す言葉とした。1965年9月30日、イギリスの『ガーディアン』紙がドイツ・マルクが変動為替制をとらなくてはならなくなったのを報じた記事で初めて使った。これがたちまち広がって一般の用法となった。波間に浮いたり沈んだりするfloatという言葉と為替相場が浮動する現象の間の類似に着目したのはほとんど創造的であると言ってよい。」
それに対して、日本語におけるこの事象に関する「言葉作り」について。
「固定レートに対して自由に変わる変動レート制のことを何と呼ぶか。これはその新しい事象を表す言葉が必要だというのは世界中の国で同じであった。日本では誰が考えたのか知らないが、『変動為替相場』というのが生まれた。しかし、このように6字もあったら流通しないことは初めからほぼ分かっていた。そしてその通りになった。この頃は円相場、ドル相場と言っている。」
しかし、日本は明治時代に中国語にも存在しない漢字の組み合わせを自ら「発明」し、多くの新しい概念に関する日本語の熟語を作り出すことに成功していたはずです。
例えば、「銀行」「哲学」「逓信」「野球」。
これら以外にも数多くの新しい概念を「熟語」として生み出し、最終的には中国語に逆輸入されるまでになったわけで、日本はこの新しい「言葉作り」については得意だったはずです。
それが、なぜこのような状況になってしまったのか、本書にはほんの少しだけその理由に言及がありましたのでその部分を引用します。
「英語に引き換え、日本語が『変動為替相場』といった優等生的造語しかできなかったのは、漢字によって新しい概念を表現することが困難になりつつあることを物語っている。ちょうどそのころから、漢字に代わってカタカナが用いられるようになった。」
つまり、日本人は明治の時代にあまりにも多くの「組み合わせ」を「発明」してしまったために、もはや2つの漢字の組み合わせのネタが尽きてしまったということでしょうか。
私には、まだまだ頑張れば、よい新作を生み出せる可能性があるように思うのですが、、、
いずれにしてもその後、日本は漢字2つの組み合わせ「熟語」の新作を諦め、日本語にはない概念の導入にはもっぱら「カタカナ」を用いるようになります。
このカタカナについての話については、少し前のブログで、「日本語はなぜカタカナが多いのか」というタイトルで記事を書きましたので是非ご覧ください。