英語を忘れるとはどういうことか
2019年11月29日 CATEGORY - 日本人と英語
以前に書籍紹介ブログにて「私たちはいかに英語を失うか」をご紹介しましたが、今回から本書よりいくつかテーマをいただいて書いていきたいと思います。
第一回目のテーマは、「英語を忘れること」とはどういうことかについてです。
英語学習には明確なゴールがありませんので、ともすると無間地獄にハマってしまうような方がいらっしゃいます。
ですが、英語は一度できるようになっても使わなければ当然忘れるわけで、普段から英語を使う環境がなければ、当然にしてレベルは落ちることになります。
その際、この「忘れる」ことの意味合いをきちんと理解しておけば、無間地獄に悩まされずに済むと私は思っています。
本書においては、この「英語を忘れること」について、以下のように二つの説を提示しています。
「一つは『減衰説』、もう一つは『検索失敗説』です。減衰説とは、頭の中に蓄積されていた英単語の知識などがあたかも倉庫内の在庫が減っていくように、時間の経過とともに消えていってしまうという考え方です。一方の検索失敗説とは『忘れてしまった英単語の知識』は頭の中から消えてなくなったのではなく、頭の中のどこかに存在しているのに、うまく見つけて引き出すことができずにいると考える立場です。今までの研究成果を総合してみますと、言語忘却については減衰説ではなく、検索失敗説の方がより実状に当てはまるとする調査結果が多く示されています。すなわち、帰国子女は帰国後、英単語を忘れてしまいますが、その単語の知識を完全に失ってしまうのではなく、その知識を引き出すための検索がうまくいかなくなってしまっているということです。」
これは、私自身の実感とも一致するものです。
私はテレビを見ていて芸能人の名前がどうしても思い出せなかったりすると、アイウエオ順に「ア」から自分の記憶に照らしていくという作業をします。
この作業で「ワ」まで行くうちにお目当ての記憶を引き出せる確率はざっくり65~70%くらいだと認識しています。
このことから、記憶とは、一度接した知識を脳の倉庫に在庫としていれることをいい、記憶の定着とは、その在庫をいかに検索しやすくするのかということだと思っていました。
そして、私のアイウエオ順作業からすると、その検索可能性というのは、いかに記憶された知識同士のネットワーク(関連)化ということになるかと思います。
本書でのこの記述は、私自身の体感的な理解を、より体系的にすることに大変役に立ちました。
このように、体感と論理を関連させることができたとなれば、必ずやこの記憶は私にとって長期記憶となり、いつでも検索可能なものとなってくれるはずです。
そして、英語学習において「その知識を引き出すための検索」に最も有効なのが、「英語を使用しなければならない環境」であることは間違いありません。