日本人と英語

日本の英語教育が成功しない二つの原因

2022年5月8日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英文法再入門」からテーマをいただいて書いていきますが、第一回目のテーマは「日本の英語教育が成功しない原因」です。

書籍紹介ブログにおいて私は、「本書を読むことで、著者と私の考える『本質的な何か』は完全に一致していると確信しました。」と書きましたが、その「本質的な何か」とは、「日本の英語教育が成功しない原因」の特定とそれに対する対処だと思います。

本書において著者は「日本の英語教育が成功しない原因」は次の二つだと言います。

① 英語が外国語であることに求められる原因

② 教え方に求められる原因

まず、① 「英語が外国語であることに求められる原因」について本書の該当部分から引用します。

「そもそも英語は日本語と異なる系統の言語であるという動かしにくい事実があるということです。となると、この①については何にも対策を講じられないということになりそうですが、実はそうでもないのです。『英語は難しい』で立ち止まるのではなく、『英語という言語はこういう特徴を持ち、このように難しい言葉だ』ということを知ることです。ようするに心構えの問題です。例えば、The instant he saw me, he ran away.という文があります。まず多くの人はinstantを形容詞だと認識していると思いますが、『英語は同じ形のままで、複数の品詞になる語が極めて多い言語である』という事実を知っておくことで、まず、The がついていることで名詞として使われていると理解し、それでも意味が通じないのなら、その後に he saw meという文章が続いているから、The instantで実質上の接続詞として働き、『彼は私を見るとすぐに走り去った』という意味にもなりうることを理解しやすくなります。(一部加筆修正)」

このことについては、私にも一家言あります。

一般に「This is a pen.」は最初期に習う文だと考えられていますが、実は「be動詞」は、「自動詞」や「他動詞と異なり日本語には存在しない概念です。

「be動詞」の「=(イコール)である」という状態を表す「動詞」という概念や、他の動詞とは異なり、活用が多く、疑問や否定に関しても扱いが異なるというかなり「やっかい」な性質にもかかわらず、「This is a pen.」と「これはペンです。」の対比文だけを与えられるだけで、その本質が何であるかということを教わることがないために、いつまでたっても分かったつもりの方がほとんどです。

しかも、そのせいで英語教育において最も重要な「文型(これを何よりも重視するという点でも著者と私は完全に一致しています)」の軽視にもつながっていると私は考えています。

続いて、② 「教え方に求められる原因」について本書の該当部分から引用します。

「(カリキュラムの考え方として)一般に『短い=取り組みやすい』『短い=簡単』という発想があります。例えば、短い不定詞や分詞などを先に扱い、接続詞を使った節を後になって扱います。ところがこの順序で学ぶことにより不定詞や分詞などの理解が難しくなってしまいます。これらは確かに短いのですが、その分、自分で情報を補いながら理解しなければならないので、実は逆に難しいものなのです。(一部加筆修正)」

このことは、①以上に強く訴えたいところです。

上記の「This is a pen.」だけでなく、「I am very happy to see you.」という文章を単なる決まり文句として学習の再初期段階で覚えさせることに私はかなりの憤りを感じてきました。

このことは私の主宰する「文法講座」の全20回の項目の並び順(不定詞は15回目、このパターンにしか使えない不定詞の【目的】を表す副詞的用法に至っては全20回が終わった後の特別講座での取り扱い)からもご理解いただけると思います。

とりもなおさず、日本の学校英語教育のカリキュラム作りの中にこの二つの原因への対処が今に至るまで組込まれていないという事実は、明らかに国の責任だと思います。

そしてまた、仮に国がその責任を果たさなかったとしても、常に英語教育の現場に立ち続ける英語教員がその不都合さに気づいているのにもかかわらず(気づいていないとしたらよほど無能だということになってしまう)、この非効率な学習体験を次の世代にも引き継がせてしまうのはそれ以上に無責任だと思います。

 

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