TOEICは金儲け主義か
2018年8月17日 CATEGORY - 日本人と英語
前回より「TOEIC亡国論」からテーマをいただいて書いていますが、今回はTOEICが「金儲け主義」に走っていると捉えられるのではないかという疑念について考えてみたいと思います。
前回の記事において、TOEICは、その存在自体を否定されるような試験ではなく、その試験の本質を捉えた活用のされ方がなされていないことについて否定されるべきだと指摘しました。
今回のテーマである「TOEICは金儲け主義ではないか」という疑念は、まさにその活用のされ方に起因するものではないかと思っています。
本書ではこのような疑念を持たれる要因を二点に分けて整理しています。
まず一点目。
「この試験は、対象とする範囲が広すぎて最上級レベルと最低レベルの受験者の実力が分かりづらい。本来、5段階ぐらいにテストの内容を分けて出題すべきなのに、一種類で済ませ、しかもコンピューターで採点しているので、ものすごく利益率が高い。英検と比較すればわかります。」
これは、以前の記事「英語テストの作り方」で取り上げました「測定可能範囲」の概念を無視しているということです。
ですので、それぞれの想定レベルから外れると測定能力が下がり信頼性が確保されないというデメリットの解消をせずに、効率性を優先してしまっていると捉えられます。
そして、二点目。
「試験なんてそもそも1回受ければ終わりのはずなのに、点数アップのために複数回受けさせて受験料で儲けようとする。英語力がある一定レベルまで達したら、ほかのことに時間を割くべきだ、もっと大切なことがある。」
これは、TOEIC側の立場に立てば、点数が明確に出ることでその向上のために複数回受けるというのは、それ自体が学習モチベーションにつながるという言い分はあると思います。
ですが、前回の記事にて私が指摘した、
「満点を目指してどこまでものめり込むようなことは時間の無駄です。文法と語彙がどれほど身についているかを知るために、『受験テクニック』なしで650点くらいをとることを目指し、そのレベルに達ししたらTOEICは卒業するべきです。」
という点から問題があるというべきであって、この点をもって「金儲け主義」として批判するのは行き過ぎのような気がします。
以上の点を整理して考えてみますと次のような結論に達するように思います。
TOEICが一点目のそしりを免れるためには、今のように年間300万人近い人間が画一的に受験するのではなく、受けるべきレベルの人がその試験の本質を理解し、適切な目的のために受けるという「普通」の試験になる必要がある。
皆さんはいかがお考えでしょうか?