日本人と英語

グローバル言語の本質は不完全性への寛容さ

2020年10月4日 CATEGORY - 日本人と英語

英語関連書籍ではありませんが、先日、代表ブログで取り上げた「現代の魔法使い」こと落合陽一氏の「働き方5.0」に、英語をはじめとするグローバル言語の本質を非常に的確にとらえた記述がありましたので取り上げたいと思います。

まず著者は、これから来る「AI時代」には当然「グローバル」の概念が必要不可欠であることは間違いないと断言されています。

しかしながら、同時にはっきりと「『英語教育』ばかりに熱をあげるのは間違っている」とも言っています。

なぜなら、著者が考えるグローバルを前提としたAI時代に必要な能力とは、「語学力」ではなく、「言語化力」だからです。

「言語化力」とはすなわち、「解釈力や説明能力のことであり、語学力のことではありません。どんなに英語が流暢でも、解釈が低レベルで説明が下手では、話を聞いてもらえない。重要なのは語学力ではなく、相手が『こいつの話は聞く価値がある』と思えるだけの知性です。」

この点については、著者以外の多くの識者も言っていることで、このブログにおいて何度も紹介している主張ですが、ここからが著者の目の付け所のすごいところです。

著者は以下のように続けます。

「ある日本のベンチャー企業家が外国の投資家に対して自分の事業に関するプレゼンを英語でしていたがその発音がひどかった。でも、相手の投資家はじっくり話を聞いている。『英語』ではなく『事業の内容』を聞いているので、それさえ興味深ければ何も問題ないのです。それを見て私は、『こんな状況は日本ではありえないかもな』と思いました。」

なぜ、著者が「日本ではありえない」と思ったのか、それは日本人だったら、外国人が日本語を話すその日本語が「流暢でない」場合には、その瞬間にかなりの確率で「聞く価値」を低く査定してしまいがちだからだと言います。

そして著者はそれは、日本人の民族的な均質性が高いことを意味していると分析しています。

このことは、実際にその国の言語が「グローバル言語」として機能している国に行ってみると結構すぐに体感することができると思います。

具体的に、私自身が実体験としてこのことを感じられたのは、アメリカ、それからフランス、そして中国の三か国です。

当然「英語」は世界一のグローバル言語で、フランス語もそれに準ずると言ってよいと思いますが、アメリカでもフランスでも、街中でネイティブスピーカー以外の人から英語やフランス語で話しかけられるという機会に遭遇する確率は、日本においてのそれとは比較にならないほど多いです。

そして、実際に私たち日本人が、彼らに不完全な発音の英語やフランス語で話しかけても、彼らは当たり前のようにそれを受け止めてくれる可能性は高いと思われます。

では、中国はどうかと言うと、もちろん英語やフランス語と比べるとまだまだ外国人が中国語で中国人に話しかけるという場面はそう多くないとは思いますが、中国においては、国土があまりにも広く、標準語である普通語(北京語)以外に、広東語、福建語、上海語等々を母語としながらも普通語を話す人は多いため、中国国民同士でも不完全な中国語でのやり取りというのは頻繁に生じます。

そのようなことが頻繁に起これば、言語の不完全性を、相手の「知性」の評価の要素に加える可能性は圧倒的に低くなるのは当然です。

残念ながら、日本では日本人以外の日本語を耳にする機会がまだまだ少ないことから、無意識のうちに相手の日本語の不完全性によって相手の「知性」を低く評価してしまう癖があるように思います。

もしかすると、あなたは「自分はそうではない」と思うかもしれませんが、街で話しかけられた時に「あっ、外国人に日本語で話しかけられた」という意識が心の中で生じることは認めるのではないでしょうか。

もしそうならば、その意識自体がその傾向がある証拠であると思ったほうがいいかもしれません。

その意味では、英語教育を生業にしている私自身も、自分の中にその傾向があること否定できません。

日本のグローバル対応はどうしても「語学力(英語力)強化」に向けられがちですが、実は必要なのは語学力ではなく、「言語化力」だとする著者の主張には強く同意できます。

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つまりは、「たかが英語」であり、重要なのはその基礎である「論理力(言語化力)」なのです。

 

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