お金をちゃんと考える
2019年4月10日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
これまで連続で「お金」と「生き方」に関する書籍にを取り上げながらそれらについて考えてきましたが、このシリーズの最終回としてこの二つを同時に考える本をご紹介いたします。
お金の神様である邱永漢氏と広告(言葉)の神様である糸井重里氏の対談を一冊にまとめた「お金をちゃんと考えることから逃げ回っていたぼくらへ」です。
本書の内容は、大まかには次のようにまとめられると感じました。
お金はあればあっただけいいように思えるけれども、お金を目的にしてしまっては幸せになることができないということ。お金はあくまでも、自分自身が何をしたいのか、そのしたいことをするための道具であるということを理解しなければならない。
その人が成し遂げたいことが、その人の器となり、その器がないのに大きなお金があっても、無意味どころか不幸のはじまりとなる。
つまり、「生き方」が先にあって、「お金」はそれをサポートするだけのもの。だから、自分の器に、お金を合わせるという生き方をしなければならない。
本書には、このようにまとめるに至ったエピソードが満載されているのですが、それらの中で印象的だったものをいくつか引用します。
「ポケットにいくらあるだのないだのと関係なく生きている人の方が面白い。何かをするときの基準がお金のところだけに集中していたらきっと間違いを起こすだろうなあと思います。だから、邱さんは約束をまもることを重視するのだということが良く分かる。小さなころから逆境の中にいて、そこで信用を失ったらどうすることもできないのですから。」
「嘘をつくと今度はいつ誰にどういうウソをついたかを覚えていないといけない。その点真実は一つしかないわけだから、嘘をつかない方が余計な記憶を必要としないと僕は思います。いっぺん人に言ったことは自分が約束手形を発行したのと同じであって、それを実行できなければ自分の信用を失うと思っています。」
「もちろん、お金への欲望はあってもおかしくない。お金があればできることも大きくなるから。でも、やりたいことがなくてもお金が欲しいというのはおかしい。ですから、僕はよく人に『あなたは大きな仕事がしたいのですか?それとも大きなお金が欲しいのですか?』と聞きます。つまり、自分が何をしたくて、どういうことを思っているのかをみんなはまず知る必要があるということです。」
「ぼくは、自分で大きくした会社の従業員にストをされて頭を抱えている人をたくさん見てきた。あんなことをやられるくらいだったら、従業員はバス一台に乗れる程度にしておいて、みんなに払う給料は一流商社と同じくらい払う代わりに、それでもし文句を言われるなら、その日のうちに『辞めた』って言ってシャッターを閉めてしまえるのが一番だと思います。」
お金よりも先に生き方がある。
このことさえ間違えなければ、お金を味方につけた幸せな人生を送れるのだということを、お金の神様とことばの神様との対談からしっかりと教えていただきました。