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「すごい」使っちゃうのはなぜ?

2017年10月27日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

以前に、「言葉の乱用は進化か退化か」という議論をこのブログでしました。

その中で、「言葉の乱用は退化だ」と考える新聞記者の次のような言葉を紹介しました。

「新聞記者としての筆者自らは、言葉を仕事にしている以上、「ら抜き言葉」を耳にするたびに血圧が上がるほどの憤りを感じるわけだが、実は太宰治や川端康成などの文豪も、その作品中には時折、「ら抜き言葉」が見られるため、それらをメモしておいて、大文学者でも時折こうなのだからと血圧を下げるお守りとしている。」

しかし、一方で、機能的により良い結果をもたらすのであれば、それは「言葉の進化だ」ととらえられる可能性についての次のような理屈も紹介しました。

「『ら抜き』の方が受け身や尊敬ではなく、可能の表現だと的確に伝わるからではないか。多くの人が使い、耳慣れることで、さらに使う人が増えている」

確かに、「先生は教科書を見られた。」と「私はアイドルの顔が見れない。」という使い分けは分かりやすさで言えば確かに一理ありそうな気がします。

その記事の中で、私が「すごく」気になる乱用として挙げたのは、「すごい~(動詞or形容詞)。」です。

例えば、「すごい好き」「すごいきれい」の類です。

これについては、もはや逆転したというレベルではなく、日本人の7~8割が「すごい」派だと思います。

ならば、この件についても、機能的により良い結果をもたらす点を見出して、積極的に肯定できないものかと調べてみました。

そもそも、正しい日本語であるとされる「すごく」は、「すごい」という形容詞の連用形(用言:動詞や形容詞などにつながる形)です。ですから、そもそも「副詞」ではなく、正しくは「形容詞の連用形の副詞的用法」という説明になります。

英語的感覚では、形容詞、動詞、および副詞を修飾するものをすべて「副詞」に分類しますので、多くの人が当然に「副詞」だと思っているのではないでしょうか。

日本語における純粋な副詞は、実は「かなり」「もっと」といったような程度副詞、「すぐに」「ときどき」などの状態副詞、「決して(~ない)」「なぜなら(~だから)」などの呼応副詞、「こう」「そう」などの指示副詞などの最後が「~く」という形ではないものに限定されます。

このことを前提に考えると、「すごい好き」「すごいきれい」の「すごい」は、次に続く動詞や形容詞の程度がすごいことを表す「すごい」に限定されていることからも、「かなり」「ちょっと」などの副詞とおなじように、純粋な「副詞」として新たに作り出されたものではないかという見方ができるかもしれません。

そして、これを分析的に定義すると、「形容詞『すごい』から派生し、程度がはなはだしいことを表わす程度副詞」ということになります。

ここまで、分析的に理解をした上で「すごい好き」「すごいきれい」というように使うのであれば、もはや誰もそれを聞いて血圧が上がるようなこともなくなるかもしれません。

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