日本人と英語

続・小学校英語教科化の根拠

2020年7月8日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「小学校英語のジレンマ」からテーマをいただいて議論をしていますが、第三回目のテーマは、「教科化の論拠」です。

前回見てきたように、小学校英語は2010年頃を境にそれまで文科省主導であくまでも「豊かな学び」を目的とした「外国語活動」という位置づけから、官邸主導の「教科化」に向けてガラッと方向性が変わってしまったという流れを見てきました。

そして、その変化の裏には有権者である「大衆」と「財界」の要求があることを確認しました。

今回は、そのような見方はあるにしても、これだけの大きな方針の転換を図るためには、官邸なりの「教科化の根拠」なしにはあり得ないだろうと考えるのが当然であり、本書にもそのことに関する言及がありましたのでその部分について見ていこうと思います。

実は、このテーマについては全く同一のタイトルで以前にブログ記事を書いております。論旨としては共通する部分が多いですが、2年という時間を経た上で改めてこの問題について考えることにも意味があると思いますので書いてみることにしました。

特に、2年前の主語は「文科省」としていましたが、今回の主語は「官邸」となっていることに注目すべきかと思います。

著者は、本書のその根拠を「平成29年告示 学習指導要領」の中から次のように見出しています。

まずは「背景」において「グローバル化への対応の必要性」が謳われています。こちらについては短絡的な連想ゲーム感は否めませんが、なかなか否定できるものでもありません。とりあえず、こちらについてのコメントは差し控えます。

続いて、「根拠」として従来の外国語活動の「成果」と二つの「課題」をあげています。

以下、それぞれについて解説をしています。

◆成果=現行の外国語活動で子供は英語により親しむようになっている。これは成果と言ってよい。

この成果については、著者は非常に厳しい指摘をされています。というのも、「親しむようになっている」という評価を科学的なデータによる比較衡量といったプロセスをせずに、単純な教職員や生徒の「感想」という印象値を取り上げているにすぎないからです。

言ってみれば、子供の読書感想文としても最低の評価を受けるであろう「とても面白かったです。」といったものを基礎とするのと何ら変わらないということです。

◆課題1=上記の成果にもかかわらず、文字を扱っておらず、また体系性のある学習に限界があるため、中学校の英語学習とうまく接続できていない。

◆課題2=しかも、小学校5.6年生の知的レベル(抽象的思考力)に釣り合っていない。

これらについては、一見説得力があるように見えますが、しかしこの議論は、文科省が「外国語活動」を導入した時に多くの議論を重ねて導き出した「方針」をいとも簡単に切って捨てていると言ってもよい指摘です。

このことは中学・高校英語への「接続」の問題と小学校での英語の「先取り」の問題とを混同しているということに過ぎないと著者のみならず私も思います。

なぜなら、「文字」や「体系的理解」については、今までの中学校英語で十分対応できる、いやむしろ中学校だからこそより効率的にできるものだからです。

そして、小学校において鍛えるべき「抽象的思考力」は国語などの従来の教科の範囲内でより効果的に行うことを考えることが先決だからです。

このような「根拠」の提示を見ると、今まで文科省が小学校への英語の導入の「是非」について、「建前」と「本音」のバランスを微妙にとりながら慎重に議論してきたものを、官邸主導の名のもとにそれを一気にすっ飛ばしてしまって、「本音」をむき出しにしてやりたいことを実現してしまったに過ぎないということが分かります。

これらの課題については文科省としてはとっくに認識した上で複雑な議論を積み重ねてきたわけで、誤解を恐れずに言えば、官邸が突然に非常に低レベルな議論で全ても持って行ってしまったというのが文科省の素直な感想であるはずです。

あまりに雑、結論ありきの根拠の後付け感が半端ないと言わざるを得ませんでした。

 

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