アベノミクスは何を殺したか
2023年8月27日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
今回は政治関連の本のご紹介です。
タイトルは「アベノミクスは何を殺したか」で、著者は「アベノミクス」という言葉を初めて全国紙の一面であつかった朝日新聞の記者である原真人氏で、彼と金融・財政・政治・行政・歴史・思想の専門家13名との対談をまとめたものです。
著者は当初からこのアベノミクスを最初の記事を取り上げたときから10年以上、一貫して異端で異形、危険な政策として批判してきた方で、本書は著者と彼ら13名との議論によってアベノミクスの本質に改めて迫ろうというものです。
私の「アベノミクス」の理解ですが、これを「三本の矢(①金融戦略・②財政政策・③成長戦略)」と理解してきました。
つまり、金融戦略は日銀の異次元の金融緩和、財政政策は政府主導(赤字国債発行による)需要創出、成長戦略は規制緩和による新産業創出というわけですが、それぞれの項目について以下のような素人なりの見方をしていました。
① 金融戦略
異次元の金融緩和は、「経済が低迷している=実際の需要がない=ほしいものがない」状況では、いくら金利がゼロに近かったとしてもほしいものがない以上、誰も借りようとはしない。つまり、需要の創出にはつながらない。しかも、そもそもタブーを犯しているわけだからやってはいけないことだが、もしやるにしても、③の結果を出してからでないと無意味だったことになる。
② 財政政策
赤字国債を発行するわけだから当然その分だけは経済を回す力にはなるが、次の世代に過大な負債を残すというマイナスな状況をつくることになった。
③ 成長戦略
① も ②もタブーを犯しているに近いことであり、正直「政策」と呼ぶべきものではない(このあたりのことについては今回の13人のうちの一人である藤巻健史氏の「Xデイの到来」という記事参照)のに対して、この「成長戦略」が三本の矢の中で唯一、「政策」と呼ぶべきものだったのにもかかわらず、ほとんど結果を残すことはできなかった(世界の常識であるUBERのライドシェア一ついまだに解禁されていない)。
つまり、やるべきことにはほとんど手を付けなかった一方で、やってはいけないことをやったのにそれがほとんど役に立たたないか、むしろマイナスの影響を及ぼしてしまったが、その期間がたまたま世界的な好景気と重なった結果、日本も空前の株高となり、世間はそれをアベノミクスの果実であると評価してしまったという見方です。
ですので、本書を読むことは私にとって、上記のような素人としての実感に対する答え合わせ的な意味を持つと考えました。
その答え合わせの中で最も印象的だったのは、このやるべきことをやらずにやってはいけないことを10年もやってきてしまった日本が、今後どれだけの酬いを受けなければならないのかということと、では本来やるべきことは何だったのかということが生々しく指摘されていることでした。
前者に関しては、上記の藤巻健史氏が掲げる「ハイパーインフレ」のリスクが挙げられるわけですが、本書よりもよほど以前の記事のほうが詳しいのでそちらに譲るとして、ここでは後者に関して、日銀の黒田総裁の前に総裁を務めていた白川方明氏の指摘を一部加筆修正の上、引用します。
「多くの国民はデフレという言葉を物価下落という意味より、将来の生活不安など現状への不満を表す言葉として使ったのでしょう。つまり、日本経済の問題の根源を『デフレ』にあるとし、そこから脱却するために『金融緩和』を進めるという政府の政策のアジェンダが正しく設定されていなかったように感じています。最も重要なのは超高齢化への対応と生産性向上です。金融緩和とは、将来需要を『前借り』して『時間を買う』政策です。一時的な経済ショックの際、経済をひどくしないようにすることにのみ意味があるものです。ショックが一時的ではない場合、金融政策だけでは問題は解決しません。高齢化と人口減少などの構造的要因による成長の停滞を単なる景気循環の谷と誤解してこの本来一時的にとどめるべき対策を何十年にもわたって続けてしまった。誤解によって行われた長期にわたる金融緩和が資源配分のゆがみを生み、生産性向上、新産業創出への変革のチャンスを失ってしまった。」
白川元日銀総裁は、「日銀の独立性」に心血を注いだ方です。
当時、大幅な金融緩和政策を迫る安倍政権に対して、最後の最後まで抵抗しつつも、政権や一部のマスコミから「世間知らずの学者総裁」のレッテルを張られ、ぼろぼろになりながら黒田氏と交代し(させられ)たことを私は強烈に覚えていますが、この白川氏の指摘を受けて、自分事のように悔しい気持ちでいっぱいになりました。
改めて、この白川氏の
「日本経済の問題は日銀による金融政策の問題ではなく、政府による経済政策、つまり生産性の向上(規制緩和による新産業創出)と少子高齢化への対応の問題である」
というこの指摘を、私の素人としての実感の「答え合わせ」の材料として活用させてもらおうと思います。