トランプ大統領の英語
2018年9月24日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
先日(2018年9月13日)の東洋経済オンラインに面白い記事がありました。
タイトルはなんと「『英文法の誤り』と『知的レベル』の密接な関係~トランプ大統領の英語も間違いだらけ~」です。
私は、このタイトルに何ともいえない感覚を持ちました。
純粋な好奇心とは少し違う、やじうま根性を刺激されるような、怖いもの見たさの感情を掻き立てられるような感情と英語業界に身を置くものとしての責任感とが混ざり合った、なんとも不思議な感覚です。
まず、記事を以下に要約します。
「人がある言語で言葉を発するとき、それが正しいか正しくないかは、文法的に正しいかどうかで判断される。そのような判断基準を規範文法という。これから外れた言葉は、時に感情的な反応を引き起こす。日本語での最近の例を示すと、「~でよろしかったですか」、「全然~する」、「これ大丈夫ですか?」などが規範文法から外れた言葉として比較的最近になって意識されるようになった。一方で英語の規範文法は18世紀後半に人工的に作られたものである。18世紀ごろからこの規範文法が意識され、言葉が一般的に広まっているかどうかではなく、文法の理屈に合うかどうかを正誤判断の基準としてきた。このように、そして、19世紀前半、イギリスでもアメリカでも、中流家庭の子弟たちはこぞって規範文法を学んだ。その結果、文章や公の場で「正しい」とされる文法・語法を使えるか否かで、教育程度や家庭環境のみならず、道徳や人間性まで判断されるようになった。かくして、現代の英米社会では、規範文法と能力や道徳を結び付ける言説があちこちに現れる。かつてイギリスでフーリガンが問題になったとき、ある大物政治家は「文法を教えないからああなる」と言い放った。このように、「規範文法=中産階級=社会的に有用=品行方正」という構図が英語圏では200年前に出来上がり、今日まで続く。(一部加筆修正)」
記事では、その「規範文法」から逸脱した例として、トランプ大統領の以下の発言をあげています。
① “I’m not unproud.” 自身のツイッターについて述べたものだが、「誇りに思っている」のか「誇りに思っていない」のか不明なので、二重否定を使わずI’m proud.かI’m not proud.にすべきである。
② “Her and Obama created this huge vacuum.” 前政権のオバマ大統領とクリントン国務長官が巨大な空白地帯を作ったのでイスラム国が台頭したと非難したものだが、主語なので主格の代名詞を使いShe and Obamaにすべきである。
③ “No matter how good I do on something, they’ll never write good.”「自分がどんなによいことをしても、メディアはよく書かない」というお決まりのマスコミ批判であるが、動詞を修飾するので形容詞ではなく副詞を用い、how well I doおよびwrite wellにすべきである。
(確かに、これらは日本人の私からしても、ちょっとひどいなと思います。)
このように、この記事はトランプ大統領の言葉の規範文法からの逸脱を指摘しつつ、規範文法に則った英語を話すべきだという啓蒙的な内容となっているように思います。
しかし、私は少し違う視点でこの問題を捉えるべきかと思いました。
それの視点とは、これだけ世界的に混乱を引き起こす規範文法を無視した「知的」ではない大統領でありながら、なぜ支持率を一定水準以下に落としていないのかという視点です。
この記事で説明されているように、規範文法はあくまでも中産階級以上の人々が自らのアイデンティティとしてとらえ、場合によってはそれを使わない人々を差別の対象ともしてきた歴史があります。
このような歴史を経て、今アメリカで起こっていることは、規範文法に則って言葉を操る政治家よりも、規範文法から外れた英語を平気で使用して本音を語るトランプ氏を大統領に選びたいと思っている人々が、そうではない人よりも多いという事実に支えられているということです。
彼を「言い過ぎだ」「やりすぎだ」と批判するのは簡単です。
ですがその前に、今までの政治家が彼らの存在をどう考えてきたか見直してみる必要があるのかもしれません。
そして、このことは英語が厳しすぎる規範文法から離れるきっかけとなるかもしれないと私は思います。
(注:私はこのブログ記事で英文法の必要性を否定しているわけではありません。ランゲッジ・ヴィレッジは、きちんとした基本文法を体系的に理解することは、日本人が英語を外国語として学ぶ上で何よりも大切なことだという立場をとっています。このことは、あくまでも欧米の社会の中で「差別的」ともとれる厳しい規範文法のレベルでの話です。念のため。)