ナンバーワンとしてのインド
2019年8月14日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
先日、このブログにおいて、「アジア・シフトのすすめ」という記事で、アジア特に「東南アジア」について強い関心を持っていると書きましたが、私がその「東南アジア」に次いで注目している国が「南アジア」、特にインドです。
ただ、このインドという国は、あまりに歴史が古く、また民族も言語も多様性に富みすぎて、様々な国家によって形成される「東南アジア」地域以上にひとくくりに理解するのが困難です。
そんな中、その難しい国「インド」を、歴史、政治、宗教、経済、教育など様々な観点から非常に分かりやすく解説し、尚且つ今後の成長性の予測も非常にシンプルに説明している書籍を見つけました。
少し古い本になりますが、著者はかつて財務省で「ミスター円」の異名をもった敏腕財務官であった榊原英資氏の「インドアズナンバーワン」です。
今回は、本書を紹介するとともに、その貴重な情報を私自身の備忘録としてここにインドの概要について書き残したいと思います。
まずは、このインドの理解の難しさを的確に表現された部分を引用します。
「インドは極めて多様で複雑な国です。それゆえ、インドを総体的に語ることは難しく、しばしば、象と盲人のたとえが引用されます。このたとえは、何人もの盲人が象の鼻・胴体・足などを触ると、象をそれぞれ異なる動物として認識してしまうということに由来しています。つまり、インドという国も触れる部分によって、認識が全く異なってくるのです。ガンジス川の沐浴を見ているとインドはとても宗教的な国に見えますが、実際はインド人は現実的で世俗的な部分を多く持っています。インドは菜食主義者が多く、一見禁欲的にも見えますが、古代からのインドの神々たちは大変セクシーで肉感的です。また、インドは世界最大の民主主義国家で多くの人たちが選挙に参加し政治好きですが、汚職や腐敗が蔓延っている国でもあります。インドのエリートたちは極めて優秀であり、世界的な学者が大勢いて、IT産業でも正解をリードしていますが、読み書きのできない非識字者が人口の半分程度いると言われています。」
◆歴史について
インドはエジプト、メソポタミア、中国とともに世界四大古代文明一つであるBC2300年~2000年ころに栄えたインダス文明発祥の地。この文明は西アジアから移住してきたドラヴィダ人によってつくられました。この文明はBC1800年ころに移住してきた現在のイラン人の祖であるアーリア人によって滅ぼされ、彼らによってガンジス文明が作られました。現在のインドに影響を強く残すカースト制度を持つバラモン教は彼らによって作られました。BC450年前後にはそのバラモン教に疑問を持った釈迦によって仏教が作られ、また、バラモン教と民間信仰が結びつきヒンドゥー教が確立され、民衆に広まっていく中で、仏教は東アジアに広まっていく一方で、インドにおいて仏教はヒンドゥー教に取り込まれ、事実上消滅しました。そこからインドは長い間ヒンドゥー教を基礎とした国家が成立していきます。ところが、AD6世紀ごろからイスラム勢力の攻撃を受けるようになります。1526年にトルコ系イスラム国家のムガール帝国が成立します。この帝国はイスラム教とヒンドゥー教の融和を進め、インド社会は安定し、ヨーロッパとの交易も盛んになりました。あの有名なタージマハルはその絶頂期である17世紀前半に建設されたものです。ところが、イギリスの産業革命後の強大化によって、イギリスによるインドの植民地化が進み、1858年にムガール帝国は滅亡します。そして、1877年イギリスのビクトリア女王がインド皇帝になり、イギリス領インド帝国が成立することになりました。その後、イギリスによる植民地経営は70年近く続きます。1920年代になってようやく、ガンジーやネルーなどの独立運動の指導者が現れ、第二次世界大戦による日本とイギリスを含む連合国の戦いを経て、1947年に遂に独立を果たしました。
◆政治について
1947年のイギリスからの独立以降、インドはネルーを首相に連邦共和国の体制をとりました。そしてその連邦制はアメリカのそれよりも強いもので、言語・文化・民族・宗教党の多様性を背景にしたものでした。その最大の目的は、新国家の分裂を防ぎつつ、しかも統一を維持することです。経済的には社会主義体制を目指し、五カ年計画による重工業化を志向します。東南アジアのシンガポールやマレーシアが、政治的には「独裁」、経済的には「市場経済」を導入したいわゆる「開発独裁」方式を採用し、経済的に成功したのとは対照的に、インドは経済的には非常に低迷せざるを得ませんでした。その原因は、独立直後のインドは成熟した民主主義国家としての条件を満たしていなかったことにあります。1947年当時、インドの人口の成長率は3%、平均寿命は26歳、識字率はわずかに14%という状況でした。この状況で成人すべてへの選挙権付与は危険であり、成人人口の大多数は権利・義務を理解していなかったわけですから。しかし、これはインドの多様性を考えると、東南アジア諸国のように一つの統合原理で政治することが不可能であったとも考えられ、仕方のなかったことかもしれません。結果的に、民主主義はインドにとって弱さでもありましたが、一方で強さでもあったと言えるかもしれません。開発独裁型のシンガポールやマレーシアのように高成長を早い時期に達成することはできませんでしたが、教育レベルが上がってくるにしたがって、その強さが顕在化し、1990年以降、長く続いた社会主義的政策から、市場経済に移行した後、順調に成長していることがそれを物語っています。
◆経済について
17世紀前半から18世紀にかけてインドは実は、世界最大の経済大国でした。もっと言えば、19世紀中ごろまでは歴史のほとんどの時期、中国とインドが世界の二大経済大国であったと言えます。しかし、産業革命以降、イギリスの植民地支配によって搾取が進み、また1647年の独立後も長い社会主義的な時代が続いたこともあって、非常に経済的に厳しい時代が続きました。しかし、1991年から社会主義的体制から市場経済体制への移行を果たしてから、高い経済成長を実現するようになり、現在では、12億人以上の人口を抱え、中国を追い8~9%の高い成長率を維持しています。しかも、人口構成が非常に若く、25歳以下が50%以上、人口増加率も生産年齢人口の増加率も世界でナンバーワンとなっています。かなり高い確率で、2025年までには人口で中国を超え、経済成長率でも中国を超えることが予想されます。
◆教育について
識字率はわずかに14%にとどまり、就学率が低く全体のわずか10%しか実際に高等教育を受けていないと言います。また、教育制度自体も多様で、私立学校の多くでは授業は英語で行われますが、公立学校ではそれぞれの地域の言葉で教えられます。そのため、教育の質と内容には地域格差が存在します。このように、初等教育が非常に貧しい一方で、インドの高等教育では、エリート教育が確立されています。多くの技術系大学が存在し、今やインドは世界に優秀な人材を提供できる人財大国となっています。その中でも、インド工科大学とインド経営大学が最高峰で、これら名門校の卒業生は国内外でエリートとして遇され、給与の高い職業に就くチャンスに事欠きません。また、学費を捻出できない学生に対しても教育ローンが用意されます。それゆえ、こうした名門校に入るのには激烈な受験戦争に勝たなければなりません。そのため、インドのエリートたちは極めて優秀且つ勤勉です。しかも、彼らの多くはイギリスやアメリカへ留学するため、インド人材は世界的に高く評価される仕組みが出来上がっているのです。
このように、歴史、政治、経済、教育のどの視点から見ても、インドは非常に複雑でシンプルに理解できるものではないことが分かります。
ただ、その苦難を乗り越えて、ようやく今、中国とともにかつての世界の二大経済大国であった時の輝きを取り戻す軌道に乗ったのではないかというのが、現時点での著者の見立てのようです。
私もその見方に同意するとともに、今後もインドの動向に注視したいと思います。