ブルシットジョブが作られる理由
2022年2月1日 CATEGORY - 代表ブログ
「ブルシットジョブ(原著)」の著者 デイビッド・ グレーバーの近影(上)とオランダでの講演の様子(下)
皆さん、こんにちは。
前回に引き続き、「ブルシットジョブ」について考えてみたいと思います。
前々回と前回で「ブルシットジョブ」の問題点を明らかにしましたが、今回は、そのような問題点をはらむような「ブルシットジョブ」がなぜあえて作り出されるのかについて考えます。
このことを考えるにあたって著者は、人間の仕事のありようを「タスク指向」と「時間指向」の二つに分類しています。
「タスク指向」の仕事というのは、仕事と生活の間の境界線がほとんどなく、仕事の結果である成果物の提供によって収入を得るので労働日は仕事に応じて長くなったり短くなったりするもの。
一方、「時間指向」の仕事というのは、すなわち賃労働のことで、労働者が自らの時間を一定の単価で雇用主に売ることで収入を得るもの。
このうちのどちらが人間にとって「ナチュラル」な仕事の仕方かと言われれば、人類の歴史を考えると圧倒的に「タスク指向」です。
典型的なものとしては、農家や漁師そして職人を思い浮かべれば分かりやすいです。
しかしながら、産業革命以降、仕事の仕方が組織化され、大規模な工場などに労働者が集められ彼らを協働させることで成果物を作り出すようになっていきました。
そうなると、農家や職人の様に一つの具体的な成果物に対する評価ではなく、全ての人に共通する資源である「時間」で管理するという方法が一般的になっていきました。
そして、それは直接的に生産活動に携わる労働者だけでなく、それをサポートする例えば中間管理的な仕事、会計や法務に関わる仕事なども増加していき、彼らの評価も当然具体的な成果物としては見えにくいため、労働人口全体における「時間指向」の仕事が「タスク指向」の仕事の割合を圧倒的に凌駕することになりました。
もちろん、現代でも農家や職人のみならず自営業者を中心に「タスク指向」も存在していますが、働き方として期間内でのムラが存在しうるような職種であっても具体的な成果物としては見えにくいという理由から「時間指向」とならざるを得ないものが圧倒的に多くなっているのです。
しかし、このように「具体的な成果物としては見えにくい」という性質と「時間指向」という性質の両方が重なっただけで全ての仕事が必ず「ブルシットジョブ」になるというわけではありません。
その二つの要件に雇用主のある感情が作用することで「ブルシットジョブ」が生み出されると言います。
「具体的な成果物としては見えにくい」仕事に対しても事前に賃金は契約によって決めなければなりません。そして多くのそのような仕事に見合う時間の見積もりは難しいものです。
例えば9時から5時まで時間(労働力)をある単価で買うとします。仮にその見積もりが誤っていて想定よりも早くやることが終わってしまったと言って労働者がブラブラしてしまうと、雇用主には「お前の時間は俺のものなのに、お前は俺のものを盗んだ。」という感情が生まれるのです。
逆に言えば、労働者側は雇用主にその心情を抱かせないようにするために、必死に意味のない仕事を作り出して「忙しいふり」をしなければならなくなります。
これが「ブルシットジョブ」が作られる理由です。
資本主義は「時間管理」という技術によって「効率」を追求して「ムダ」をなくすことで利益を追求するために資するイデオロギーだったはずが、このような人間の「感情」が介在することによって大いなる「ブルシット(ムダ)」を生み出すという矛盾をここに感じざるを得ません。
しかも、幼少期からブラック校則に代表される規律的意味合いしかない無意味な規則や挙動を長時間強いられることに慣れ切っている我々日本人は他国の人々に比べても、格段にブルシットジョブを作りたくなる傾向があるように思います。