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神道と仏教の話

2022年2月6日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

今回は宗教のお話です。

「神道」と「仏教」は日本人にとっては、どちらも身近な宗教でありながらそれぞれの内容についてきっちり理解せずに同一視してしまうことも多いように思います。

ですがそれも仕方のないことかもしれません。

というのも、「仏教」が日本に入ってきたのは6世紀でその後明治の時代になるまでずっと寄り添いお互いに影響しあう「神仏習合」を経験してきたからです。

そんな日本人と切っても切り離せない二つの宗教についてその両方からのビッグネームによる対談をまとめた「日本がもっと好きになる神道と仏教の話」という本を読みました。

そのビッグネームの一人(神道側)は、TVでおなじみの明治天皇の玄孫でもある武田恒泰氏。そしてもう一人(仏教側)は、吉野山金峰山寺の「大峯千日回峯行」の1300年の歴史で二人目となる満行者(大阿闍梨)である塩沼亮潤氏です。

このお二人の対談によって理解できたことを端的に表現すれば、日本にもともと存在した日本人の「あり方」である「神道」と元はインドの「教え」である「仏教」を日本人はうまく融和していいとこどりをしてきたということに尽きると思います。

ここに神道を「あり方」そして仏教を「教え」と書きました。

そもそも「宗教」の定義は「一般に人間の力や自然の力を超えた存在への信仰を主体とする思想体系、またそれに基づく教義」です。

この定義からすると「仏教」は「(釈迦の)教え」であることから宗教であるけれども、教義も教典も存在していない「神道」は宗教ではなく、日本という地域において生じた日本人としての「生き方(あり方)」を表現したものとしか言えません。

このような全く別々の体系である「神道」と「仏教」が日本において出会ったのは6世紀であり、神道がもともとあったところに仏教を正式に敬うことが決定されました。

その決定は聖徳太子によってなされたと考えられます。

あの有名な「十七条の憲法」の第一条「和をもって尊しとなす」は明らかに神道の考えを重視するというものであり、第二条「篤く三宝(仏:仏陀・法:仏教・僧:僧侶)を敬へ」はそのまま仏教を重視する宣言だからです。

ここで重要なのは、もともと日本にあった「神道」には名前がなく、ただ日本人の「あり方」の基礎となっていた「大自然の原理原則」であったのが、体系がしっかりした「宗教」である「仏教」が中国から入ってきたので、その二つを区別するために中国で使用されていた「神道」という単語をあとから当てはめたという事実です。

つまりは、別々のものを意図的に「融合」させつつも、形式的には「整理(区別)」するという絶妙な離れ業を日本人はやってのけたということです。

正確には、604年の聖徳太子による「十七条の憲法」における宣言から1868年の明治政府による国家神道確立のための「神仏分離令」まで実に1264年という時間にわたり絶妙なバランスを維持し続けました。

これは世界的に見ても非常に珍しいことで、特にキリスト教やイスラム教などの一神教の世界では絶対に考えられないことです。

彼らの宗教は常に自らを絶対視するので「融合」などあり得ず、相手を改宗させることでしかお互いの存在に関する解決はあり得ないからです。

それの考えが今に至っても「戦争」の原因になっていることを考えると、このような日本人の「融合」の精神性は奇跡としか言いようがありません。

その意味で言えば「ダイバーシティ」の精神は日本人にこそ備わっていると言うべきだと思います。